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お休みどころ 2003年12月15日(月)

 12月の6日、7日と、こちらに来てからはじめて熊本に行ってきました。京都の岩倉にいるときにお世話になった鶴見俊輔さん(哲学者)が熊本に講演(熊本近代文学館の谷川雁展の催しとして)に来られると知り、81歳の鶴見さんがはるばる来るのに、こちらが出向かぬ手はない、と聖好さんが意を決したのでした。またちょうどそのとき友人の大益牧雄さんの漆器展も熊本でありました。熊本までは意外と遠く、最寄りのバス停から1時間20分(片道1210円)と1時間25分(片道2000円)のバス2本を乗りつがないといけません。最寄りのバス停まで歩いて40分ほどで、坂がきついので帰りはたいへんなのですが、行き帰りとも近所の末雄さんが車で送ってくれました。こちらに来て、近所の方たちの助けのありがたさを、よく感じます。
 午後1時30分の講演までしばらく間があったので、会場付近でお昼を食べることにしました。熊本の都心なのに食堂がなく、15分ほど歩いて、「美角(みすみ)食堂」というすごく小さな古い食堂を聖好さんが見つけました。お客さんは僕たち二人だけで、80歳のおばあさんが下駄に割烹着姿でやっています。4つほどのメニューの中から日変わり定食500円を頼むと、切れているとのこと。何ができますか、と聖好さんが尋ね、結局550円のチャンポンふたつを頼むことにしました。
 おばあさんはとてもゆっくりのペースで調理し、講演の時間が迫ってあわてたのですが、話すうちおばあさんが病気での苦労を語りだしたり、ごはんをごちそうしてくださったり、ふしぎと打ちとけ、別れぎわにはおばあさんは目に涙を浮かべていました。片側3車線ある太い道路のわきの小さな食堂なのですが、一歩入れば別時代の空間。その落差がふしぎでした。
 講演会場は自然公園(水前寺江津湖公園)の一角にあり、川のほとりを散歩することができたのですが、生い茂る芭蕉の木や鳥たちのくつろぎを見ていると、やはりここがいつどこなのかわからなくなります。人工ではなく天然の生命世界を味わうのに、なにも広大な敷地は必要でなく、小さな一角でいい。そんな気がしました。
 谷川雁さん(1923〜1995、熊本県水俣市出身の詩人、教育活動家)と僕は直接会ったことはありませんが、人がいきいきと生きるということをクレイジーに考え模索した人のようで、「おい、元気か」という雁さんの呼びかけが会場のそこここから聞こえる気がしました。雁さんの探究のもとには老子(古代中国の思想家、何物にもとらわれない自由で伸びやかな生き方を強調)がある、と講演の中で鶴見さんは強調していました  。流れる川の水や赤子のように何物にも逆らわず柔らかく生きることを説いた老子と、大胆過激な探究を繰り返した雁さんとでは全然別なようですが、生命力の十全な発露を目指すという意味では共通しているのでしょうね。
 そういえば「お休みどころ」の名付け親の茨木のり子さんも老子を大切にしておられ、以前「老子研究会を作りましょう」といっしょに話したことがあったのでした。まず身のまわりに天然自然の生命力を養う小さな休み所をつくる。こういう生き方をめぐって、人の輪ができそうです。
 ここ平谷のお休みどころは、古民家ゆえ、やはり寒いです。冬仕度もすこしずつ整えています。3部屋とも、畳をあげて新聞紙などを敷きつめ、下からのすき間風をよけるようにしています。床の間から吹きこむ風がひどいので、聖好さんの案で障子紙を壁いっぱいに押しピンではりました。火鉢には一日中火をいれています。他には灯油ストーブひとつを使っていますが、部屋の空気全体をぬくめるという発想では、いまのところあたたまるのはむつかしいようです。結局着こんであたたかくするほかない、と聖好さんは疲れきって言っています。土間が特に寒く、水も冷たいので、ぬるま湯が欠かせません。いまのところは七厘(しちりん)に小枝をくべて、お湯をつくっています。
 北御門さんからいただいた秋ジャガの種イモ10個を家の前の元畑に植えていますが、葉はシカにみな食べられてしまいました。じきに霜で枯れると聞いていましたが、茎だけになってもやはり葉を出し生きようとしています。それを見て聖好さんが納屋に散らばっているモミがらなどをまいてあげたのですが、そのせいか少し長生きしてくれたようです。12月2日、北御門すすぐさんとたえ子さんが来られた折、はじめて掘っていただきましたが、経9cmと12cmほどのジャガイモがふたつ出てきました。隣人の椎葉袈義さんからは、「まあウズラの卵くらいのジャガイモだろう」と言われていましたので、寒さの中よく実をつけてくれたと感謝しました。
 ちょうど今日、グレッグさんから本が届きました。“the Sabbath”。お休みの意。お休みを生きる大切さが説かれています。
                     興野康也

 人生というのは、それ自体ひとつの旅路。そのなかの旅もまた、文字通り、旅のなかの旅。なので、旅で出会うひとつひとつが大きな旅の象徴であるのでした。今回ふらりと入った「美角食堂」もふしぎな場所でした。
 「むかしはよかったですよ。このへんには小さか店もいっぱいあって。住み込みで人をやとうておりました。世の中はおかしかですね。人の手のほんなこついるごてなると、一人でせにゃならん。道路ば拡するちゅうていまのところに移りましたが、車ばっかり通って、人は来ん。ほら、若か人はあきれて見よんなはる。掃除がゆきとどきませんで。息子さんでしょ?(と、おきのさんに)。よかですなあ。よか息子さんで。若か人は腹の減る。ごはんはごちそうしますけん、食べなっせ。梅干も。ことしは色よう漬かりました。シソのアクば、ようもんでぬいて、それから、一週間ばっかし重しをして。これが秘訣ちゅうたら秘訣ですかなあ。入退院しながら、漬けましたけん。おしっこの袋ば、つけとりますと。平成3年からですなあ。きのうも病院に行ってきましたと。血液検査の再検査しろちゅうことで。おくさんはしあわせですなあ。こがんよか息子さんのおらるっで。」
 美角のおばあさんの作ってくれた味の濃いチャンポンを、汗をかきかきいただいて、「お元気にしとって下さいね。きれいな笑顔がいい」と手を握って別れたのでした。店の外まで見送って来て下さいました。深々と、美しいお辞儀の人。
 「美角食堂って、一角を美しくするっていうことですねえ。いま、書いていて、わかりました」と、これを書きながらおきのさん。
 私たちがしたいことも、ひょっとしたら、それ。
 ワン・スポット・オン・アース。(藤田省三先生の言葉。)
 谷川雁さんの亡くなる二年程前、黒姫の谷川雁さん宅に一泊泊めていただいたことがあります。雁さんの話を途中でさえぎることができず、「帰ります」と言い出しかねているうちに、最終列車をのがしたのでした。
 「もっと狂って生きろよ。おれは狂って生きたぞ。何もないものにはそれしかないではないか。川の上流の仕事をしろよ。上流の仕事は、食べられないに決まっている。そんなものではないか。」と雁さん。
 上流。源流。溯上への旅。
 と、こうして、球磨川源流まで辿りついたのでした。

「   お休みどころ           茨木のり子

  むかしむかしの はるかかなた
  女学校のかたわらに
  一本の街道がのびていた
  三河の国 今川村に通じるという
  今川義元にゆかりの地

  白っぽい街道すじに
  <お休みどころ>という
  色褪せた煉瓦いろの幟(のぼり)がはためいていた
  バス停に屋根をつけたぐらいの
  ささやかな たたずまい
  無人なのに
  茶碗が数箇伏せられていて
  夏は麦茶
  冬は番茶の用意があるらしかった

  あきんど 農夫 薬売り
  重たい荷を背負ったひとびとに
  ここで一休みして
  のどをうるおし
  さあ それから町にお入りなさい
  と言っているようだった
  誰が世話をしているのかもわからずに
  自動販売機のそらぞらしさではなく
  どこかに人の気配の漂う無人である
  かつての宿場や遍路みちには
  いまだに名残りをとどめている跡がある

  「お休みどころ……やりたいのはこれかもしれない」

  ぼんやり考えている十五歳の
  セーラー服の私がいた
  今はいたるところで椅子やベンチが取り払われ
  坐るな とっとと歩けと言わんばかり
        *
  四十年前の ある晩秋
  夜行で発って朝まだき
  奈良駅についた
  法隆寺へ行きたいのだが
  まだバスも出ない
  しかたなく
  晩夜買った駅弁をもそもそ食べていると
  その待合室に 駅長さんが近づいてきて
  二、三の客にお茶をふるまってくれた

  ゆるやかに流れていた時間

  駅長さんの顔は忘れてしまったが
  大きな薬缶と 制服と
  注いでくれた熱い渋茶の味は
  今でも思い出すことができる 」

 「お休みどころ」の看板の文字を、茨木のり子さんに頼んでおりました。病いとともに暮らしておられる茨木さんにお願いするなどあつかましい話ではあったのですが、言の葉の種は私のうちに蒔かれ、ぐんぐん伸びてゆくのですからいたしかたなく。ごめんなさい。そうして、十一月の終わり秋の名残りの風に乗って届きました。
 その日の午後、納屋の中の大きな竹かご(1メートルの深さです。何をいれたのでしょうか。お茶の葉かなんかでしょうか。)を修理して、道沿いの木の葉の吹き寄せに、落ち葉拾いにゆきました。落ち葉を集めて、ジャガイモのふとんにしようというのです。とことこと歩いていると、郵便配達の三重ちゃんのクルマが止まって、「はい」と手渡されたのが「お休みどころ」(の入った荷)。
 おきのさんは「お休みどころ」(荷物)、私は落ち葉の竹かご、ともに持ち、もと来た道を帰ってゆきました。と、櫟の木立ちから「お休みどころ」の屋根が夕日を受けて光ります。
 あ、ここの屋根は煉瓦いろ。「色褪せた煉瓦いろの幟(のぼり)」はないが、色褪せた煉瓦いろの屋根はあったのでした。
 雨が降ると、土間の食台に、点々としみのあと。
 雨もりです。
 そんな屋根。軒のあいだには丸めた新聞紙。風よけです。段ボール一箱分の新聞紙を使い、冬仕度をしました。これで新聞紙も終わりね(新聞をとっていません)といっていたら、ありがたくも新聞紙を届けて下さる方がいたり。生かされております。古来からお寺、神社、修道院、お休みどころの類いは「寒い」がつきもの。なんとか冬に入りました。きょうは雨です。
                    上島聖好

お休みどころ | 2003年のお休みどころ | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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