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お休みどころ 2003年11月15日(土)

 家の中で火を使う機会が多くなってきました。かまど、いろり、火鉢に加えて、七厘(しちりん、聖好さんが郵便配達の三重子さんに頼んで取りよせる。1785円)も使っています。朝、おみそ汁の具をコトコト煮たり、煮豆を作ったりするのには、七厘のやわらかい火がちょうどいいようです。ガスのように立ち消えの心配もありませんし、吹きこぼれにくいようです。七厘や火鉢に使う木炭も、聖好さんが三重子さんに頼んで水上村の樫炭(かしずみ)を取りよせてもらいました(10kg1500円、2kgサービス)。10月23日に取りよせて、11月13日現在で3分の1程しか使っていませんので、おもいのほか持ちます。
 木炭をおこす着火剤に消し炭(けしずみ、かまどでできた燃え残りの炭)を使っていますが、これがけっこういります。当初は生焼けの消炭(地元では「ねむ」と言う)をよく作り、煙が出ていましたが、炭を手で折ってみれば生焼けかどうかすぐわかると気づきました。たき木の太さもかまどの大きさに応じて適切な太さがあるようで、僕が太すぎるたき木を使っていたのも生焼けの要因のようです。10月25日に訪ねてくださった井上美貴子さんと齋藤ひとみさんの二人に、実際にかまどで火をおこしてもらい、焚き方を教えてもらいました。
 火の使い方など、生活の基本的なことをいろんな方に尋ねると、よろこんで教えてもらえることが多いです。例えば10月13日、10月14日に訪ねた岡山県のハンセン病療養所・長島愛生園でも、そうでした。阿部はじめさんや北島かね子さんが、「このことを若い人みんなに伝えたい。」と言いながら、堰を切ったように暮らしの知恵を話し出されたのにはおどろきました。海水を焚きつづけて塩をとり、塩を布袋につつんで灰の上に一晩おいておくとにがりが抜ける。ごはんを炊いたあとの羽釜に翌日のたき木をいれて乾燥させておくとよく燃えた。など、はじめて聞くことばかりでした。宇佐美治さんの恩賜記念館のそばから良質の粘土が取れ、それで焼きものもつくったそうです。地面に穴を掘って炭を焼く焼き方など、基本的な技術は先輩から教わったと阿部さんは言っておられました。
 また愛生園の金泰九(キムテグ)さんからは、農家の長男として過ごした韓国での幼少時代のことを聞けました。主な仕事は牛の放牧だったそうです。草地を求めて1時間ほども牛の背に乗って山に入っていき、焚きつけの松葉を拾ったり、草刈りなどもしたそうです。牛の背で歌ったヤムサンドゥという歌の一節も聞かせてもらいました。火や水や食べものの話から、いろんなおもしろい話が聞けます。
 長島愛生園でも、ここ球磨地方でも、手ぢかにあるものでなんとか暮らさないといけなかったことは同じで、そうしたとき創意工夫が生まれるようです。
 古屋敷に住む野口一義さんが10月21日に訪ねてくださったときも、ベニヤ板(元天井、「お休みどころ2003年10月6日(月)」を参照)で柄の抜けたツルハシを直してもらえました。この家の先代の借家人の人が、経30cmほどのスギ丸太をたくさん畑に捨てていたのですが、それをクサビで割ろうというときに、大きなハンマーがなかったのです。そこで野口さんは納屋からこわれたツルハシを見つけ、サッサと直してくれたわけです。ベニヤ板は焚きつけに使うゴミとしてしかおもっていなかったので、そのひとかけらを修理道具がわりに使われたことが意外でした。
 野口さんに実際にクサビを使ってたき木を割るやり方を見せてもらってから、太い木も割れるようになりました。野口さんはツルハシをふり回してクサビに正確に当てていましたが、僕は小さなゲンノウ(かなづち)を使ってすこしずつ割っています。木を割れることでずっとたき木づくりが楽になり、こういう道具のありがたさを実感しています。大家さんの平川ハナ子さんの夫の友重さんが古い道具を集めるのが趣味だったそうで、そのおかげで納屋の中からいろんな道具がでてきます。
 能登川町立図書館からの本の宅急便(上島注:納屋にコウモリがいたのでした。昼間ぶら下がって休んでいるコウモリに遠慮しいしい納屋に入っていたのですが、あるとき末雄さんが「あら、コウモリ。珍しかなあ」と近くに寄ったとたんどっかへ行ってしまいました。というわけで今回はコウモリについての本をおねがいしました)の中に、『寒山(かんざん)の森から』という山暮らしの本があり、火の焚き方についてとても勉強になりました。火を焚くコツは、なるべくいじらずに火自体に燃え上がってもらうことだそうです。これは実際にやってみて納得できます。たしかに、なんとか火をつけようともがくうちにかえって消えてしまう、ということがよくありました。もうひとつのコツは、火を穏やかに燃やし、大きくしすぎないことだそうで、焚火の場合は木を井桁(いげた)に組んだりするより、ただ平行に並べておけばいいとあります。近所の森山末雄さんにいろりでの火の焚き方を教わったときも、やはり平行に並べて木口(こぐち)から火をつけると言っておられました。
 いちばん役に立ったのが、本の中に「火床(ひどこ)」という言葉があったことです。それまで僕は燃やす焚木ばかり眺めていたのですが、焚木よりも熾火(おきび)のベッドができているかどうかのほうが大切ではないか、と火床という言葉からおもえてきたのです。熾火であたたかい環境をつくり、その上に焚木をおけば、自然と燃えていくようです。(その後、『広辞苑』で火床という言葉をひくと、熾火のベッドというような意味はなかったですので、僕のおもいこみだったかもしれません。)
 七厘(しちりん)の炭火は、うちわや火吹き竹を使って火力を調節するのがいいと読み、さっそくうちわを使ってみました。ですが、かまどのすぐ横に七厘を置いていますので、かまどの灰が飛んでしまいます。そこで、聖好さんの案で、火吹き竹がわりにFAX用紙の芯棒を使ってみました。ただの丸いつつなのですが、吹いてみるとけっこう息がしんどいです。火吹き竹は先の方の穴が小さくなっているのでは、としばらくして気づきました。
 この家には稲穂を干すための長い竹竿があり、納屋に竹を切るノコギリもあったので、火吹き竹を作ろうと切ってみました。ところが長年月干しっぱなしだったせいか、割れ目がたくさんはいっていて、息がもれます。困ったので末雄さんに相談すると、翌日には末雄さんが作ってきてくれました。
 末雄さんはなんでも作る人で、畑もするし、シイタケも育てます。たくさん出たシイタケに感嘆していると、家の中にもっとめずらしいキノコがあると末雄さんが言います。何だろうとおもうと、なんと木彫りの男根女陰像なのでした。木肌の形そのままにいかしたもので、3組もあります。こういうものを山の神さまに供えるところもあると読んだことがありましたが、それにしてもなんでも手作り。人吉にいたころ、ストリップ劇場の女の人が見せてほしいと頼みに来たという、末雄さん自慢の作なのでした。
     興野康也

 「聞きしにまさるアバラ屋ですね。問題発言…『雨月物語』に出てきそうな…。その後少しずつととのってきていますか?写真を見たら、あまりきれいになる前に行ってみたいな、と思いましたよ。なんだか寒さもきびしそう…。」若い友人、乃亜ちゃんからのおたよりに、笑いました。写真とは、北御門すすぐさんのホームページ。ありがたいことに、お休みどころの写真をのせてくれているのでした。
 ありがたいといえば、10月25日(土)すすぐさんたえ子さんの援農に行く道すがら、福岡から訪ねて下さった齋藤ひとみさん、井上美貴子さん。北御門二郎先生の20年来の読者。「月に三、四万円で暮らす者たちがいる」ときき、「霞を食って生きている」というその「霞」を見に来られたのでした。
 そのときはまだ天井には、ブルーシート。畳も上げられており、まるで、洞窟。洞窟に、あかあかと火。とは、あこがれの住まいのひとつではあるのでしたが、いざそれを突きつけられるとたじたじ。
 11月1日、興野の高校時代の日本語の先生が来られるまでには何とかしたいとおもうのでした。寺井治夫先生は16歳の興野を論楽社の講座につれてきてくれました。「半ば内親の端くれにいる者のように、一度顔を見てこなければ」と日帰りで来訪。(前日、大阪から八時の夜行列車に乗り、朝九時、人吉着。そこで、レンタカーを借り、十一時、お休みどころ着。三時帰路につく。)
 11月1日、山に上って半年の日。お昼には寺井先生、祐子さんを迎え、興野さんの炊いた栗ごはん、おみそ汁と、つつましい宴の座。畳は敷かれ、ブルーシートも無事、役目を終えたのでした。
 この『お休みだより』の裏紙は、寺井先生が送って下さいました。
     上島聖好

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