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お休みどころ 2005年12月27日 火曜日

 また冬がやってきました。去年もおととしも、この冬越したら暖房をどうにかする、と思いました。でも冬をすぎたら「それはそれで……」となってしまうのでした。
 お休みどころの建物をどう作り変えていくか。たいへんな懸案で、二転三転しています。去年の冬には「涙骨賞」懸賞論文の賞金をあてて、納屋にゲストルームを作る材木を買おうと言っていました。が、それも落選。その後も聖好さんはいろんな人に納屋改装のアイデアを相談してみたのですが、村長さんや地元の方の反応がいまひとつでした。
 そうして、納屋よりもまずは母屋の寒さ対策、と発想を転換しました。
 阿部さんや棟梁の浦松さん、みなみ由さんたちが仕事の合間をみつけ集まってくださり、聖好さん、グレッグさんたちと議論。母屋の部屋を二つ付け加えることや回り廊下、採光などを僕たちは希望しました。
 ですが、結局、大工の目で見て母屋に部屋を作ることは構造的に美しくない。母屋よりも納屋の方が構造的にしっかりしている。いずれにしても納屋を整えないと、人をお迎えする雰囲気にならないのでは、と二日前阿部さんがおっしゃいました。
 そして母屋の改装の代わりに、浦松さん、阿部さんが薪ストーブを設置してくださいました。いろりの上にしっかりしたふたを作り、その上にストーブを設置。煙突も天井と屋根を突き抜け、直登です。この煙突のパワーはすごい。
 そう思って喜んだのもつかの間、こんどはたき木の問題です。ことしはグレッグさんがコツコツとたき木をつくってくださったとはいえ、まだまだ足りません。たき木をどうやって調達しよう。
 運送についてはグレッグさんの案で、シルバーの方におねがいしてみることにしました。車で運んできていただく件はOK。さて、こんどはどこでたき木を手に入れるか。水上村森林組合に電話すると、「ただでお分けしていますが、いまは人気でここにはもうありません。球磨プレカット工場が三百円で軽トラ一杯の木切れを売っています」とのことで、やれやれ。
 ところがこんどは球磨プレカット工場も、シルバーの方に来ていただく当日になって、品切れだと言うのです。シルバー派遣担当の西野さんのご教示で、水上村二ヶ所、湯前町二ヶ所、多良木町二ヶ所の製材所に電話。2mの杉の背板が軽トラ一杯で千円〜千五百円とわかりました。
 こんどはチェーンソーがない。シルバーの宮地さんが持ってきてくださることになりました。きのうは10時から午後2時まで働いてくださり、材木代千円、作業費三千円でたき木ができました。まだ一冬に使う四分の一ほどだとおもいます。がんばらねば。
              興野康也

 12月14日〜12月21日まで、グレッグさんを送る旅をしておりました。12月19日、成田空港からグレッグさんは出発します。この冬、彼の先生、ミリアムさんに代わって母校UCLAの講義二ツとゼミを一ツ、教えることになりました。ビザの期限三ヶ月が切れる時期でもありました。当初からの予定は12月19日一時帰国。家族――グレッグさんは一人っこ。92歳のじいちゃんを世話する立場です――と共にクリスマスを送り、イースター(復活祭)を迎える。それはひとつの大きな義務なのでした。
 ミリアムさんの話が訪れたのは、お休みどころにきてからです。ミリアムさんはグレッグさんを私たちのもとにつれてきてくれた人。(五年前のことです)彼女が体調をくずし、この冬、休養することになりました。幸い、病気そのものはたいしたことではなかった。去年の暮れには、神田橋先生のもとを訪ねた、一念の人。(立命館大学での集中講義のあと、京都から三回新幹線をのりついで。そのたびごとに車椅子を使い、いそいで乗りつぎ、乗りこんだ)「この人に会いたい」とおもったら、どこまでも会いにゆく。ミリアムさん到来のおかげで私たちは鹿児島の海辺で遊べました。(小原裕子さんが運転をかってでてくれました。ありがとうありがとう)「ふしぎねぇ、こうして歩いている」といいながら。ミリアムさんは三ツ大きな病いを持っています。それをまるごとひっかかえ、走り抜ける。そうして人と人を、つないでしまう。
 そのときも私は冷えと風邪が離れずにうじうじとしておりました。いよいよ、それが高じてきた。「ウツ」と会話の端に口に出すと、ミリアムさんは(でんわで)言った。「神田橋のもとにひとりで行って受診しなさい。」それは無理なことでした。
 出発の日はまぢかだったのです。
 かてて加えて、もうひとつ。私は友人の漢方治療(生薬)を受けはじめたばかりでした。からだにそくした生薬を十二種、日々の体調に合わせて微妙に配し、いただく。友人の親身な治療で冷えはうすらいでおりました。
 「困ったことになりました。」パソコンに向かっていたグレッグさんはいいます。
 「先生からメールが届いています。いますぐ、三百ドル送金するから、聖好さん、アリゾナ(ミリアムさんのボーイフレンドのいる)でクリスマスを迎えなさい。足りない分は、神田橋先生や徐勝さん(ミリアムさんがはじめて論楽社を訪れたのは1996年徐勝さんとでした)から一万円ずつカンパしてもらいなさい。」
 ぎょっとしました。ありがたいのは重々で。
 ほんとうのことを書くしかないな。ミリアムさんに手紙(FAX)を書きました。
 「ミリアムさん。おかあさまのジェーン様のご命日もすぎましたね。去年の11月20日、おかあさまのご様子をうかがおうとでんわしたら、すがすがしいお声で、『いま母が亡くなったの』とおっしゃいました。そうして約一ヶ月後に、私たちは鹿児島でお会いすることができました。桜島の熔岩を抱き、隠れんぼしながら、浜辺で遊びました。そのとき、ミリアムさんはおっしゃいました。『聖好さん、本を書きなさい。書簡形式で。』
 私は申しました。『それは私の仕事ではないような気がする。私は手紙を書きつづける。ひとりの人間に、語りつづける』と。さらにすすめるあなたに、『そうね。生きのびるアンナ・カレーニナなんかいいかもね』と私は笑ったのでした。
 以来、私の仕事は何なのか。
 お休みどころを私ははじめたのですが、それは一体、何なのか。論楽社共同経営といっしょか、いっしょではないのか。考えておりました。
 ミリアムさん、この地は『荒野』です。
 山暮らしに熟達した人もいいます。『ここは、山暮らしでもハイレベルの地ですよ。』
 いまだに、からだは馴染めません。
 が、このたびグレッグさんがこの地を選び、参加することによって私ははっきりとこう定めました。この地に、ふるさとをつくろう。ほっとするほのかな炎。それはバカげたことかもしれないけれど。ふしぎ『家族』を探す旅。お休みどころ号のよろよろ航海。なつかしさの奥の奥のところで人に出会う旅をつづけてゆこう。
 そう。あなたと私のように。
 この冬は週四日、私は一人。薪を集め、犬を散歩させるだけで日の大半を過ごすでしょう。生きのびる愛を、試してみます。
 こうして冬を越えたら、春。ミリアムさんのために祈っています。そして、私のために祈っていて下さい。」
 旅を終え、ふたたび雪の只中のお休みどころに一人戻れば「無理しないで。アリゾナで遊びましょう」と留守電が入っておりました。しずまりかえった部屋。受話器に耳をくっつけても、パーキンソン病を得ているミリアムさんの声は前半判じがたいのでしたが、これが、生きのびる愛のささやき。
 12月14日、大阪に着くとすぐ、山下満智子さんを訪ねました。満智子さんは脳梗塞を得、共病生活。どんな小さな布のきれはしからも、宇宙平和を生み出すお針名人。岡部伊都子さんの衣を支え、お休みどころの住を支えてくれた人。満智子さんを訪ねた帰り、電車の中でひょっこりと野田恵津さん(神田橋先生の「お休みどころ芸術祭」に京都から参加して下さいました)に会うのも、ふしぎ。
 「満智子さんの服の展覧会をしてあげて下さい。」ちょうど、グレッグさんが、私に話しかけておりました。次の春、論楽社でやりましょう。
 東京では七年ぶりに鈴木好子さんに会いました。鈴木さんは安江良介さんがしんそこ信頼しておられた人。林洋子さんの三田のすぐ近くというのも、ふしぎな、なつかしさ。青山墓地にある安江良介さんのお墓参りにつれていって下さいました。墓石には「仁と元」ただこれだけが刻まれておりました。仁と元、どちらも、人と人とのつながりをいうのだという。安江さんらしい。青山墓地が抽選であたったのも、安江さんらしい。お墓参りに行くというや、庸子さんと庸子さんのつれあいも現地集合、特別参加。安江さんを生前知っているのは鈴木さんと私。あと三人はわいわいと乗り合わせた船。ふっくらと落葉の毛布を掃き浄め、鈴木さんがお花、線香を手向け「ありがとうございました、とわたしが申すのもへんですが、賑やかなのが大好きだった安江さんでしたから、およろこびなさいましょう」とごあいさつをされるのでした。
 「現地集合? 会うのはむつかしいんじゃないかしら。」
 鈴木さんの危惧ものりこえて、「仁と元」の前で出会えるふしぎ。
 翌日は、茨木のり子さんと会いました。
 「お休みどころのお休みどころ」になって下さるというのです。
 名付け親、詩からとびだしたお休みどころをひきうけて下さり、ありがとうございます。
 その日の夕方、林洋子さんのおうちでの集いには、楢木さん、笠浦友愛さん。なつかしい友人たちも寄りました。洋子さんのベンガル料理のうまかったこと。
 グレッグさんを19日、無事に見送りました。
 グレッグさんがぽおーんと旅だってゆく。「いちょうの実」のように。
 4月16日、復活祭ののち、ふたたびこの地に立つでしょう。
 わくわくと、待っています。
              上島聖好

 カリフォルニアの大晦日は珍しく雨。祖父は久しぶり暖炉で火をつけていた。あと三時間で新年。光の来る2006年になりますようお祈りしつづけましょう。
 帰国してからの十二日間ほど疲れたことがない。10日から授業も。
 14日、雪の中で山を降りて、聖好さんと二人で京都(寒い京都)に帰って、そして17日に三田で興野と会った。友人三組(川村幸ちゃんと山崎圭子ちゃん、江藤ちゃんと麻美ちゃん、横浜時代の〝兄貴〟)は2006年(戌年)に子供を迎えることになったと聞いてうれしかった。
 近江八幡で奥村先生にヴォリーズの話を聞かせていただいた。そして吉祥寺でご馳走して下さった茨木さんに小泉八雲の話を聞かせていただいた。
 聖好さん、洋子さん、興野に成田まで送ってもらって感動した。ありがとうございました。
              グレゴリー・ヴァンダービルト

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お休みどころ | 2005年のお休みどころ | 12:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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