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お休みどころ 2005年10月28日 金曜日

 10月23日(日)、朝7時、阿部さんが迎えにきてくれました。グレッグさんと私はチビにたっぷりごはんをあげて出発です。今朝は西の空がまっ赤です。月は中天を指しています。この壺天に日月がともに集う。太陽は西から上がるものだったのか。ほうやりと立ちつくします。
 順子さんと人吉駅でまちあわせ、4人で鹿児島空港へむかいます。おきのさんとはそこでまちあわせ、病院から直接来るのでした。修学旅行の生徒のように私たちはおしゃべり。バスを降りるとき、プリプリと私たちをにらみつける人がいる。「もっと静かにできませんか」と怒られました。
 林洋子さんの25周年記念の会に出席するために上京するのです。洋子さんは股関節を人口骨頭に置換する手術をうけ、「雁の童子」のシタールをあきらめかけていたところに、シタール用の椅子をつくってくれる人に出会って、「世界にたった一つの椅子」ができたのが、この7月。「『雁の童子』は、私には賢治最高傑作とまで思える作品です。」と洋子さんは書きます。それを6年ぶりにシタールで弾き語りをする。おしゃべりしないでおれないではありませんか。
 洋子さんは常々こう言います。「智恵と力は使えば使うほどわいてくる。」湧いてこざるをえないものなのかもしれません。「洋子さんの会に行くよ」と斉藤庸子さんに連絡しました。庸子さんは1985年に『世界』で洋子さんと高木仁三郎さんと藤田祐幸さんの座談会を読み、洋子さんの公演を開きたいとおもいました。ちょうどそのころ論楽社で洋子さんの2回目の公演(なんと「雁の童子」)をしたので、まずそれを観てからと、倉敷から京都を訪ねられたのでした。以来、庸子さんとのつながりは続き、ついには、藤田省三さんの介護に参加。この世で省三さんがさいごに会ったのが庸子さんでした。「行く行く」と庸子さん。23日、会場で「不知火」以来の再会となりました。
 辻了美さんとも再会。京都での私たちのヨガの先生です。娘さんの出産間近にもかかわらず、来て下さいました。信にみちて。
 楢木祐司さんにも会えました。楢木さんは径書房で6年半仕事をしておりました。そのころかかわった仕事が『合言葉はクラムボン!』(林洋子)、『ある徴兵拒否者の歩み』(北御門二郎)。「1989年に『合言葉はクラムボン!』を読み、この人のあとについて回りたい」と順子さんはおもったのですが、その本(もと)となるのが楢木さん。二郎先生を知ったのも、その流れ。『いま、人間として』の創刊に伴って楢木さんは径書房に入りました。その(1982年)第2巻に、投稿特集があり、林みかんさんと私たちは一緒にのせてもらった、いわば、「いちょうの実」。きょうだいなのでした。みかんさんは、母親の洋子さんのことを書いておられ(「洋子サン、もう一人のママ」)そこではじめて、私は洋子さんを知りました。その後、楢木くんは独立。編集工房を開きます。論楽社ブックレットを制作していただいております。論楽社の、元気のでるホームページも作成。
 楢木くんは家族をつれて会いに来て下さいました。つれあいの依子さんと論楽社に泊まりに来てくれたのはいつだったか。それから3人の娘さんたちに恵まれ、いまでは長女の芙美香ちゃんは中一。美雪ちゃん(小五)、奈桜美ちゃん(幼年長)のういういしさ。花園のようでした。
 岡本厚さんにも、6年ぶりくらいに会いました。岡本さんは『世界』の洋子さんたちとの座談会をつくった人。庸子さんは岡本さんから、林洋子さんの連絡先をハガキで教えてもらったそうです。岡本さんはいつも明るい。世界を照らす人。そういう一行、の大団円。なつかしさにきざめきます。うれしいね、生きのびたね、ぺちゃくちゃらんらん、ひいらひら。こんどは「もっと静かにできませんか」と怒られませんでした。
 「雁の童子」はすばらしい弾き語りでした。シタールの音色のなかに、すべての時間がこめられています。その中に、洋子さんの声は登場人物の一人ひとりになって、漂います。たとえば童子は、こどもというのではなく、童子のなかに、すべての時間がこめられている老人でもあり、少女でもあるのです。はるか遠く、砂の国での舞台は、いま、ここの「大団円」でもあり、「東京砂漠」でもあるのでした。死者と生者の交差点にひとり立ち、私は風の調べに我を失う心地でした。いや、ひょっとしたら、それこそが、「我在り」やも知れず。
 只今10月28日午前10時半。阿蘇の山田小学校で「なめとこ山の熊」のはじまる時間。「九州ツアー」の第一弾。その会を企画した山田小学校の竹原先生は私の親戚だと、グレッグさんが教えてくれました。きのうグレッグさんと竹原さんが洋子さんを出迎え。阿蘇への途次、話すうち、そういうことがわかったのだそうです。私のことは私は、わからない。いのちは照らしあいつつ、歩みゆくものなのか。
      (上島聖好)
2


 行きは飛行機の中から帰りは飛行場から、富士山を仰ぎ見ることができました。
1

 
 林洋子さんの祝賀会で、高木学校の高木久仁子さんがスピーチ。洋子さんは、「倚りかからず」の人。久仁子さんの低い語りに、茨木のり子さんをおもっていたので、びっくり。「お休みどころ」は茨木さんの言霊です。とあとで、久仁子さんにごあいさつ。「いちょうの実」のきょうだいのように。
3

 ハンセン病療養所の全生園に宿泊。ちょうどハンセン病補償法に基く裁判で来日していた韓国からの一行と同宿。食堂では熱い記者会見が行われておりました。歴史にあわせるふしぎ。
4
 たたずむふしぎ。電車の中で判決をしります。が、どうして別れるのか、日本語が分かりません。
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 10月16日は山の神祭り。地域五軒が集います。男神、女神の白木づくりの神さまが鎮座。沈黙のうちに。サクラ、イチョウ、ヤマザクラ、スギ、ヒノキ、キハダ、カツラ、それらの大樹にしめ縄、五弊で荘厳します。みんな魔法のように縄をないます。私はできません。同じ手とおもえない。

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