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お休みどころ 2005年10月11日 火曜日

 只今(10月10日3時半)、成尾水上村村長宅から帰ってまいりました。クルマのない私ども3人のために、「迎えに行きますよ、1時に待っとって下さい。」と村長はいい、私たちは乗っかって村長宅におじゃましました。「行政としてできる限りのことをしましょう」と7月に約束。できる限りのことをして下さったのですが、グレッグさんは村長のいう「ALT」(英語圏の人が中・高で英語を教える文部科学省の制度)に応募するのは、もはやしたくありません。というのも、10年前1995年から1997年までの2年間「ALT」で鳥取の西高校に勤務していたからでした。たまたまそのとき、徳永進さんの三女、ナッちゃんを教えていたり、愛生園には鳥取出身者も多くいたりして、あとからみると御縁に従った出会いに恵まれた時期ではあったのですが、「ALTの時代はぼくにとって終わりました」とグレッグさん。帰ってからポツンとつぶやきます。
 9月29日、午後10時、グレッグさんは福岡空港に到着。その夜は福岡の私の弟宅に泊めてもらい、次の日、11/15太宰府で林洋子公演を開いて下さる方々3人と会ったあと、バスで熊本に向かいました。熊本学園大学の富樫教授に会うためです。非常勤講師として学生に英語を教えても1回1万円、水上村から通って来ることは現実的ではない。歴史を教える専任講師の口を探ってみたらということで、いま、待っているところです。(部落差別史の先生を紹介して下さいました。グレッグさんは「日本における差別史」という授業をしたこともあるので。)熊本学園大には、岡部伊都子さんから紹介された松田道雄文庫もあります。水俣学研究もはじまったばかり。10/26には、そのセミナーで、緒方正人さんが話します。グレッグさん、ききにゆきます。翌日、10/27、洋子さんを熊本空港に出迎えます。
 いずれにせよ、居住の資格はやっかいでしょうが、そんなもの。次の日、鶴見俊輔さんの講演をききにゆきました。「現代の風土記をつくってゆこう。そのときのクニは、阿蘇山から、たとえば、見えるクニのような大きさではないのか」と鶴見さん。(10/1の鶴見さんの会に合わせて、グレッグさんはアメリカを発ったのです。私が24歳のとき鶴見さんをマッギール大学にお訪ねして以来、じつに、4分の1世紀。) 

 10/27〜11/15、いよいよ「林洋子九州ツアー」がはじまります。10/27、グレッグさんが熊本空港に出迎えます。10/28、阿蘇の山田小学校を振出しに11/15、太宰府まで計11ヶ所、拠点はお休みどころ。洋子さんはお休みどころの「住人」となります。
 どういうクニ生みができるのか。
 その鍵は、「結」(ゆい)のちからにかかっています。
         上島聖好

 10月2日、山を再び登って、ここお休みどころに帰ってきました。半年の間にはここ大分進んで、畑からのカボチャ、イモ、キューリ、ズッキーニをいただいてよかったととくに思っています。 
 家探しから参加させてもらった僕にとって、今回水上村6回目、お休みどころ6回目で、一番長いのです。来る前、アメリカのハンセン病療養所(ルイジアナ州のカーヴィル。台風の災害はなかったそう。99年閉院だった。今18人がいるそう。)を訪ねて行って、そして92歳の祖父と1ヶ月すごしました。僕の意識の中に、「アメリカ」から「日本」へ来たわけではなくて、チノやカーヴィルなどとのつながりをどう大切にできるかと考えて、決心して来ました。
 ここに来ると、遠い山もとなりの納屋も机から見えます。ここにできることは見付からなくて、大変です。チビの世話、薪づくりの少し、お風呂の火ぐらいですが、お風呂はいつも地獄のようです。興野の鹿児島に行っている水曜日の朝から土曜日の夕までには聖好さんと初めて2人です。朗読によって今度英訳に参加させてもらっている宮田光雄先生の『権威と服従』などを聖好さんと面白くがんばって読んでいます。興野を全身全霊で待っていて、そしている日は忙しい。
 わからないことだらけで、お祈り、よろしくお願いします。(グレゴリー・ヴァンダービルト)

 10月9日には田嶋順子さん、阿部勤子さんと共に、5人で林洋子ツアーの打ち合わせ。3時から夜の10時近くまでかかりました。
 各会場との連絡、移動、宿泊をどうするか。
 洋子さんはかなり大きく重いスーツケース(85×55×34cmほか)3個に荷物をつめて来られます。その宅急便の手配などなど。順子さん、勤子さん、ありがとうございます。

 病院勤務の中で、なぜか母子関係の問題にくりかえし行き当たります。そういえば僕も、母が手のかかる兄(?)のほうにかかりきりで、さびしく、ひねくれてきたのでした。なかなか隠しきれません。
 鶴見俊輔さんのお話も、母子関係の傷についての証言とおもえてくるのです。自己開示の態度に脱帽。(興野康也)

「水平線や遠い山脈に眼をやらなくなると科学はニセ宗教の下僕になったりする」
(「ハマヒルガオ −興野さんへ− 島田等」)

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 トウガン、ズッキーニ、カボチャ、この夏は黄色い波のような花々が、畑に潮騒の音を響かせました。いまでも朝々咲きます。それを、かきわけかきわけ、次の種をおろしています。が、なかなか発芽しません。
 井上石油の山田さんがガスと燈油代の集金に来ました。1Lあたり2円あがったので…と山田さん。「スーパーの袋なんかも上がるそうですよ。」遠くの西の山は植林したて。それを指さし、「リューベーあたり6000円、7000円なので採算とれないということですよ」といいます。お休みどころの林も、間伐の必要あり。この間の台風の見回りすら、していません。遠くに目をやらなくなった私がいる。 
  
「夢をしっかりつかめ
 夢がついえると
 人生は翼の破れた鳥のように
 飛び立てないのだから

 夢をしっかりつかめ
 夢が消えると
 人生は雪の凍りついた
 不毛の荒野になるのだから」(『82歳の日記』メイ・サートン)

「マヤ文化では幼いときに “人生に完全な人生はない”と教えられます。いつも積極的な面と消極的な面の両方があり、どちらも引き受けていかなければならない、といわれます。歴史もそうだし、個々人の人生もそうだ。私たちはまったく知らない人生を夢みるのではなく、毎日、みんなが送っている生活を基調に考えることが必要です。」(リゴベルタ・メンチュウ)

 「なめとこ山は一年のうちたいていの日は、つめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。」(なめとこ山の熊)
 お休みどころは「なめとこ山」の胎内にあり。(上島聖好)
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