<< お休みどころ 2005年7月18日 月曜日 | top | お休みどころ 2005年8月30日 火曜日 >>

お休みどころ 2005年8月2日 火曜日

 グレッグさんがロサンゼルスの下宿をひきはらう最後の電話がいまありました。「ひとつの時代が終わります」と感無量の声。友人のソクベさんが手伝ってくださっています。(上島注:前日にはグレッグの小さな下宿に友人一同集って、大団円。隣りに住むユダヤ系イラン人のおばあさんもやってきて、「わが息子よ」と抱いてくれたそうです。)
 10/1にはグレッグさんも日本です。
 林洋子さんの「奉納公演」は、聖好さんの呼びかけで、球磨郡4ヶ所、鹿児島2ヶ所、が決まっています。水俣、阿蘇は検討中。田嶋順子さん、阿部勤子さん、小原裕子さんが動いてくださっています。
 僕の方は病院勤務には慣れてきたものの、目に見えないエネルギーをとられているようで、お休みどころでも、どこかうわの空ですごしています。
 中井久夫さんの本によれば、「病院の外に出たあとも患者さんのことを考えつづけているようなら、主治医を変わったほうがいい」という格言があるそうです。気分転換できないようなら、かなり精神的にまきこまれている、という意味でしょうが、僕もそんな感じです。いま・ここに集中できず、聖好さんもイライラしています。こんな状態ははやく抜けだしたいです。(興野)

 これを書いているとき緒方正人さんからでんわ。林洋子さんの公演を、埋め立て地(水銀爆心地)で開きたいと思うが、8/13の本願の会の例会で決定させて下さいというもの。洋子さんの初心、願いの地が、洋子さんを待っている。
1
 私の「職」(食)は何だろうか。49年、何やら食べてきたのだが、人にいうとき、いつも「アノー」と口ごもる。一日の多くを山奥の家の中で、それもペンを持ってすごすのだから、その方角なのだろうか。何を私はかいているというのだろう。
 林洋子さんが「魂の達人」といってくれた。もしかしたら、私は「魂の探険家」なのかもしれない。20余年、「探険録」をつけている。ふっと手にとって、103冊目の2000年8月1日(5年前のきょう)を開いてみた。「ありうべき『修道院』をつくるのだ。『戦争も、不安も、騒ぎも、ここまではやってこない』場所。『人を変化させる、あらがいがたい力をもっている』場所。『ことばではいいつくせないもの、説明のできないもので、世界のどこであれ、何世紀にもわたって、清らかでやすらかな心を得るために、闘い、祈りつづけられた場所だけがもっているあの力づよい、深い息吹である。』(『波紋』リンザー著、上田真而子訳)」
2
3 
 書かれている。ただ、進むだけである。
 先日、3泊4日で鹿児島に行ってきた。林洋子さんの公演のお願いと朴才暎さんに会うために。(このたびも伊集院の小原裕子さんにはお世話になった。)帰ってみれば、ネズミのアジール。米びつはおろか、切手皿のスポンジ、チビのビスケット、何でもかじっている。順子さんが「ネズミ獲りシート」をかってきてくれた。昨夜みごとにかかった。シートからはみ出す勢い。おきのさんはたじたじ。ネズミの害を訴えてもへらへら笑っていた人だが。ネズミのせいか、ノミもいる。チビのノミが移ったのかもしれない。とにかく、私は1日中、かいている。手足をポリポリかいている。「探険家」にかゆみはつきものなのだ。(竹酢液は、よく、効く。)
4
 「晩年の漱石が達した『則天去私』(小さな私を去って大きな天に自分をゆだねる)の天こそ、トルストイがイエスという窓から触れた光(唯一の普遍的真理)そのものではないでしょうか。」(『くもの糸―北御門二郎聞き書き』南里義則著、不知火書房)

 さて、ネズミは私に何を教えてくれたというのだろう。
 去年、いろいろな方から、お米をいただいた。ありがたいことである。おきのさんが4月から週4日いないので、お米のいただき手が半減した。そこに現れたのがネズミである。「わたし」の食のことで案ずるなということではないか。知命まで生かしてもらった。あとは、宇宙に返礼。「わたしたち」の生に生きよう。「わたし」の食からは解放されたのだ。順子さんが来て、「うちの大きな(米用)冷蔵庫にいれといてあげよう」といって持っていってくれた。「うちの米よりたくさんありそう」と順子さん。
 分かちあうお休みどころ。
 魂のふるさとでありたい。
 捨てられたいのちたちの。
5
 さみしがるこの土に人の笑い声をきかせてあげたい。
切に願っているところへ、神田橋條治さんが一度お休みどころを訪ねたいとおっしゃった。先生、「講座」を開いてよろしいですか。
 よし、決まった。9月10日(土)、9月11日(日)。「お休みどころお泊まり講座」はじまりはじまり。
 1枚の古い額がグレッグから届いた。額縁のところどころネズミに食われでもしたようになっている。土にも、岩にも、切り倒された一本の丸太の上にも、赤ん坊のおくるみのように、やわらかに雪が冠っている。雪の原はゆるやかに傾斜し、針葉樹がいたるところすっくりすっくり立っている。白黒の古い写真である。「この写真をお休みどころに持って行ってよろしいですか。…カリフォルニアの風景でとても好きです。」と手紙が添えられていた。
 故郷がこの手の中にある。涙が出た。
 「天に飛翔するためにはわが祖国の大地に立たねばならない。」(“パブロ・カザルス 喜びと悲しみ”より)(上島)

 先週日曜日まででロサンゼルスの下宿をやめて、荷物を祖父の家に運びました。最後の夜には近所の仏教のお寺の盆踊りに参加できて、新しい出発ができました。そして、祖父の倉にはひ祖父母(亡くなった祖母のお父さんお母さん)のトランクが見付かって、百年前の写真(カナダの大草原で開拓しようとしたころなど)。ノルウェー語の聖書などを見て感動しました。ふるさとを二度と見なかったひ祖母、日系一世の人たちが踊り、聖書を持ってきて大切したようです。荷物のかわりに、この精神荒原に。新しい故郷をつくって生きておられました。
 来週アメリカの「愛生園」を訪ねることになり、発見を楽しみにしています。そして平谷の秋へ。(グレッグ)

お休みどころ | 2005年のお休みどころ | 17:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
Comment









Trackback
URL:

04
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--