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お休みどころ 2005年6月28日 火曜日

 6月12日から20日までのアメリカ旅行。僕にとっては失敗の多い旅でした。出発前に鹿児島におみやげを置きわすれてしまったこと、そして帰りの日程を間違って、予約していた飛行機を乗りすごしてしまったことです。結局グレッグさんが旅行会社4社にかけあい、ニューヨークのH.I.S.社のトマさんが22日夜8時福岡着のチケットを用意してくれました。(上島注:日本人。当麻?さん。グレッグさんの日本語に当麻さんは感激し、ANAのとてもいい席をとってくれました。グレッグさんの人徳。1人あたり、7万円追加しました。)乗りすごしが発覚した19日夕からチケットをとれた翌日昼まで、旅に行った3人(上島さんの甥の聖太くん、上島さん、僕)にとって重い時間でした。(上島注:重たすぎる、と、3人は、その夜『バットマン』を観に行きました。ナンノコッチャ…。)
 滞在はずっとロサンゼルスのグレッグさんの下宿でした。1LDKで寝室には上島さん、男3人はLDKのソファーベッドと床に寝ました。本やポスター、写真でいっぱい。博物館のような部屋です。
 10日間の滞在でグレッグさんの家族や友人知人二十数人に会えたことになります。グレッグさんの大学、実家、おじいちゃんの農園、好きな博物館、美術館から大聖堂まで盛りだくさんです。体調維持が大変で、特に聖好さんは大変でした。見聞きしたものを消化するのに、まだしばらくかかりそうです。(興野)

 何もかもまっさらなお正月。小さいころ双六遊びをしていたころ、“振り出しにもどる”というのがあり、それに当たると、がっかりしていたもんです。おもえば、この旅もそれに似ています。
 6/11(土)出発の朝、順子さんからでんわ。「グレッグさんへのおみやげを聖好さんの乗るタクシーの人にあずけたので、受け取って。重たいけど、その重さを私とおもってつれていって下さい」というのです。じつは、順子さんは、クルマでその朝、私のところまで届けに来ようとしたのだけれど、途中で落石事故にあった由。そのことを話してくれたのは、後のこと。こちらの負担にならないようにとの心づかい。で、こちらに来るのは叶わず、タクシーの人にあずけることになったのでした。
 「今、福岡空港に迎えに来てるけど、どこにいるの?」と弟から国際でんわがあってはじめて、私たちは、飛行機を乗りすごしたことを知りました。「どこって…。グレッグさんの部屋。今から荷造りして、5時間後午前1:00の便に乗るのよ。」チケットをよく見ると、「19日午前1時。」すでに前日に予約していた便は飛んでいたのです。格安チケットですから、そのチケットはパァ。正規の料金は30万というのです。それも、夏休み期間に入ったので、席はない。そんなバカな。
 さて、心も体力も(ついでにサイフも)カラッポに戻ってきました。振り出しの地点。
 弟の家に1泊。弟はいいます。「おねえさん、もう1晩ゆっくりしていったらいいよ。翌日ならぼくは休みなので、お休みどころまで送ってゆくよ、クルマで。いっしょに雨戸をあけよう。」魅力的な提案を振り切り、「やっぱり帰る。チビのことも心配だから。」といいました。「じゃあ、JRの駅まで送ってゆこう。」ということになり、クルマに乗って、大通りに出ようとした直後、私たちの乗ったクルマは直進してきた赤いクルマと接触事故をおこしたのでした。幸い、たいしたことはなかったのですが、相手の方が、不整脈の持ち主。警察、消防車、救急車の到来に、魂消ました。
 これも運命。いのちの運歩。贈り物であることは、確か。祝おうではないか。
 グレッグさんの博士号授与と同じほど。UCLAの荘厳なホールで7:00から式は行われました。1人ずつ名前が呼ばれ、ガウンと角帽を身につけたグレッグさんに、教授が博士号のしるし、フッド(hood)を後ろから掛けるのです。400人程で2時間余。さまざまの人種の、さまざまの研究分野。家族の期待を一心に受けた博士たちの誇らしさ。名が呼ばれると、一族郎党、大かっさい。
 私たち3人もまけじとばかり、グレッグさんに大かっさい。グレッグ一家、92歳のジェラルドおじいさん、バーバラおばさん、おとうさん、おかあさんはやんちゃ3人組を、あたたかく見守っていて下さいました。グレッグのとうさん、アレンさんは、前列、それもオルガンの真横に席をとっていてくれました。授与式のはじめからおわりまで、舞踊のように、手と足でよろこびをうたう全身表現者、オルガニストのクリストフさんに感銘をうけました。遊ぶ「こども」に誘われて、私たちも愉快の海を泳いでいたのです。式が終わり、手のいたくなるほど、大かっさい。外に出ると、野外パーティーが開かれていました。青々と九日の月の下。
 グレッグさんのおじいさん、ジェラルド・ブラウンさん(1913・6・29生)は、それはそれはいきいきとした人です。幼いころから弱視。ほとんど視力がないのに、農場の、建物一切を手づくりしてこられました。ニワトリ4000羽を飼っていたときには、その鶏舎。14歳年下の妹、バーバラさんのために、ままごと用の小さなお家。白いペンキの塗られたたいそう小さなお家がいまでも誇らしげに建っています。グレッグさんには、“フリットストーン号”という名の人力電車。彼の小さなころ、石器時代を舞台にしたアニメがはやっていたそうで、それが“フリット・ストーン”。おじいさんの家もプールもみんなおじいさんの手。「人生、やりのこしたことは何もない」と楽しそうに語られます。グレッグさんのおかあさんが毎日手助けに来られますが、14歳の老猫スプーキィと2人?暮し。
 19日(日)、おじいさんの毎週通いつづけた教会の礼拝で、おじいさんはみなさんの前ではじめて「わたしの孫が、この老いた農夫の孫が博士になりました」としずかに挨拶されました。
 よろこびの瞬間。私たちが帰りの飛行機を逃したと気付いたのは、このあとのことでした。(上島)

 3人が日本から来て下さったことのおかげで僕の今まで分けてあった世界が1つになりつつあります。家族、友人、猫、山、海、と実際話し合って下さって感動しています。美しい英語で。メキシコ、タイ、中東、ベトナムなどの料理を食べたり、ここでおいしくいただいたり、又はピクニックを色んなところでしたりして楽しかったでした。最後に、僕の大きな失敗がありましたが最後まで3人がここに参加して感謝しています。今から新しい出発です。3人と応援して下さる方々の皆さまのおかげさまです。今からもお祈り感謝しています。(グレッグ)
図1
おきのさんと甥は、飛行機の映画がお気に入り。

図2

お休みどころの唯一のみやげはタンバリン。

標高2000m、バートンフラッツ。グレッグさんお両親の山小屋。乾いた山肌をさくさく登ります。沢は白い急流。ごうごうと大岩のうなり。

旅はごろごろ。

帰りのチケットもとれて、一安心、ミリアムさんのマンションのプールで水遊び。


お休みどころ | 2005年のお休みどころ | 15:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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