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お休みどころ 2005年4月3日 日曜日

 いつも応援してくださり、ありがとうございます。4/1、4/2は伊敷病院(200床)での初仕事でした。予備知識もないしどんな仕事を要求されるのかと大変緊張し、夜もあまり眠れませんでした。が、実際与えられた仕事は、堂園メディカルハウスで学んできた介護・看護の延長でした。僕の担当になった5・6病棟(100人ほど)は長期にわたって入院している高齢の人たちが多く、老人介護施設に近いものがあります。病状がある程度安定しても行き場がなく、病院が住まいと化している方も多いそうです。病気も糖尿病や脳梗塞・関節痛などさまざまです。「精神科といえど内科も必要でしょう。」その上島さんの予言はほんとうでした。
 そういう病棟を歩きまわって患者さんと仲良くなり、心配事を聞く、というのが第一の仕事です。処方箋を書いたり、面接したり、紹介状を書いたり、といった仕事は、手順をすべて看護師さんたちに教わりながらしています。病棟になじんでいくうちに、だんだん担当の患者さんが増えていくそうです。(最初に僕が担当になった患者さんは精神科のお医者さんで、岡山大時代にエスペラント部でハンセン病療養所・長島愛生園で劇をしたそうです。光田健輔医師がまだ生きていたとのこと。ふしぎなご縁です)。
 デイケアといって、外来の患者さんたちが作業を通して元気になってもらえたらというプログラムもあります。カラオケ、木工、パン作りなどいろいろありますが、僕は太極拳部にはいりました。
 伊敷病院には一般の人向けの医療相談所もあります。(ここの一室に泊めていただいています)。
 水曜日や土曜日の夜には、堂園メディカルハウスに通い、吉見医師から内科を教わる予定です。
 水:出発。神田橋條治さん外来診療見学
 木、金、土:伊敷病院
 日:お休みどころに帰る。
          興野康也

 以下は伊敷病院でいただいた南日本新聞の記事です。

 すごい人
 87歳で現役
 伊敷病院婦長 入佐タツ子さん(87) 鹿児島市伊敷1丁目

紹介者 伊敷病院院長 植村彰さん(63)
 うちに90歳近い婦長がいます。耳は少し遠いけど、全然ボケがありません。人心をよく掌握して、的確に指示します。多くを語りませんが、言うことは神髄を突いています。病院の和のシンボルです。

 看護婦の資格をとったのは昭和11年。定年後も嘱託としてそのまま使ってもらっています。以前は毎朝行われる全病棟の回診について回っていましたが、今はナースステーションに腰掛けて、患者さんたちの様子をみています。
 患者さんたちはかわいくて、いろんなことを学ばされます。人生ってこんなものかな、とか。時には患者さんから怒られるけど、良い刺激になります。精神科は人間性が大事な科ですから。
 職員も年代がさまざまで、いろいろ話ができて年をとるヒマがありません。もし家に引っ込んでいたら、ボケになっていたでしょう。働いているから現在があると思います。頭を使うことと規則正しい生活が元気の秘けつでしょうか。家では欠かさず日誌と出納簿をつけています。美食はしません。魚が好きです。やれるだけやり続けたいと思っています。
    2005年4月2日

 入佐婦長が病棟におられるのにはびっくりしました。安江良介さんの母、都伊子(ついこ)さんに似ていました。
 日誌には細かいことを書く。相手の背景を読もうとする。お金や育ち……と言っておられました。(興野)

 以下は2005年4月13日に神田橋條治さんからいただいた書評原稿です。

書評 地域実践心理学            神田橋條治
 表題は臨床心理学が「実践」から遠くなっているとの皮肉ではない。著者両人にはそうした意図はない。意図は「地域実践」にある。臨床心理学をオフィスから出て生活の現場で実践しよう。今日の社会状況が求めているからだけではなく、自らの希求としてそうしよう、との願いが表題を生んだ。
 むかし推理小説の分野で「安楽椅子探偵」が全盛であった。安楽椅子に座りっきりで事件の話に耳を傾け、質問と推論だけで事件を解決するさまにファンは酔った。それは情報処理コンピューターの具人化であった。飽き足らない人々によってハードボイルドや社会派推理小説が書かれるようになって、推理小説は一部マニアの眈溺世界を脱して、文学の一員となった。中田さんと串崎さんは、臨床心理学もオフィスから外に出て「支えあい」を目指すさまざまな社会活動の仲間になろうと呼びかけ、かつその世界への導きを意図している。
 本書は教科書として書かれた小ぶりの本である。入門書である。にもかかわらず、本書を読む体験は新鮮である。著者は既成の知識を中立の視点からそつなく紹介する姿勢をとらない。自分たちが教育する学生を「地域実践心理学」の実践者へ育てようと、知識を自身の体験を介して論述するとともに、学生が自らの体験を経て味わいつつ学びを身に染みこませてゆけるように工夫する。知識獲得については、学生が各人の意欲と嗜好に沿ってめいめい独自に進んで行けるよう、参考文献や推薦図書を各章の末尾に紹介するに止める。以上の意図から、文章も語りかけの雰囲気を濃くする。これは心理臨床の現場で著者が使っている言葉の文章化だろう。
 読了後、評者は「入門」について連想を得た。入門とは新しい世界へ入ることである。同時にしばしばこれまでの住処から外に出ることである。入門が実りあるものとなるときには、これまでの住処が捨てられるのではなく、入門した新たな世界の中に旧い住処が装いを新たに、さらに生き生きした命を得て見出される。なにやらメビウス空間のような奇妙な味わいと、入門してよかった、外に出てよかったとの自己肯定感が生じる。推理小説の歴史と現状が好例である。質問と推論とが根幹であるのが良質の推理小説であることに変わりはない。著者は「オフィスを捨てて街に出よう」と叫んでいるわけではない。地域へ出ることでオフィスでの心理カウンセリングが新鮮な視点を得て進展すると、自身の体験をもとに確信し、学生を同じ体験へ導こうと腐心している。試みに任意の一ページに目を通すだけでその姿勢が伝わってくる。
 本書の魅力は、心理臨床家としてのかつ教育者としての心意気である。本書の内容の一部を切り取って紹介することを避けるのは、その心意気を伝え損なう虞ゆえであり、かつ、鋏と糊での仕事をしない著者の姿勢に倣ってである。いまひとつの魅力は、著者両人の呼吸合わせの妙である。一人は実践・体験寄りの、もう一人は知識伝達寄りの役割で語りかけるが、教育の基本姿勢は一体である。両人の日頃の対話と実践場面での共同活動の実りであろう。よい仕事を成し遂げたタッグチームにエールを送るとともに。次に発刊予定の「実践編」へ期待します。お二人に教育される学生は幸せだ。
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