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お休みどころ 2005年3月28日 月曜日

 神田橋條治さんのおはからいで、4/1から週に4日、伊敷病院で精神科医として働けることになりました。(当直もあり)。
 自分の勉強の次の段階として、実際仕事をしながら学べたら、と願っていましたが、ちょうど折よく伊敷病院で人手が必要になったそうです。こういう幸運に恵まれたのは、みなさんのおかげです。収入がはいるのもはじめてのことで、ありがたいです。
 当面、鹿児島とお休みどころを行きつ戻りつする生活になります。 
 鹿児島での寝泊まりは、植村院長のご理解で、伊敷病院の一角をあててくださることになりました。これも幸運です。
 実は、以前神田橋さんに伊敷病院で働き学ぶことはできますでしょうかとお尋ねしたときは、だめでした。僕の方に心構えがありませんでした(2004年6月)。就職、収入、責任、資格。こういったことは僕が避けてきた話題です。いろんな方とお休みどころの今後について話すうち、もう働いて収入を得て学んでいかざるをえない、と思えてきて、どこかいい病院はないでしょうかと神田橋さんに相談しました。そうしたら、急に伊敷病院の話が降ってわいたのです(2005年3月26日)。
 こうして一歩、次の段階へ進めたのはみなさまのおかげです。
 堂園メディカルハウスでは介護・看護、看取りの基礎、および内科の基礎を吉見医師はじめみなさんから指導していただいています。堂園実習も続きます。
 お休みどころの今後、どうぞお見守りくださいますよう。おねがい致します。
          興野康也

 朝一番、炭をおこして、火鉢にいれます。チ、チ、チ、チッ。炭の音。清浄の気が漂います。
 炭。なんと高貴なものなのか。(上島)

 お休みどころのある水上(みずかみ)村平谷(ひらたに)地区は、5ツの集落からなっています。
 そのひとつ平畑(だいらこば)が2/27をもって無人となりました。ここから1時間程歩いてのぼったところ。そこからさらにのぼると宮崎県境の不土野峠。椎葉村。いわば平畑は、熊本県境の最も山深い地。
 2軒ありました。1軒は森山ヤスノさん(76)。「デイ・ケアなんかおかしうて行かりゅか」とツッパリ姉さんなのですが、道路が壊れ――去年の台風以来崩れつづけています――陸の孤島には勝てず。
 もう1軒は尾前タカオさん宅。亡くなられました。骨のがん。タカオさんは猟師でした。去年、ここにいついていた美しいキジを仕止めてくれたのは、タカオさん。耕うん機に乗ってこられるのですが、そのパタパタパタ・・・・・・という音がきこえるとせつなくて。この秋もきこえておりました。
 その音は、いまどこに行ったのか。(上島)

 彼岸に、椿を一輪手折ってまいりました。藪椿の蕾は濃き紅をして、ツンと空を突いております。
 次の日、黄色い花芯をのぞかせながら、身をよじり、花開きはじめました。
 そして、次の日。開いた花びらの先に、透明な水滴が光ります。時が静止したように。その下にはぐっしょりとしずくの山。なめてみると甘い。ああ、この蜜に虫や鳥がやってくる。花開くというのは、無量の生き物を養うことなのか。
 次の日、花はごろりところがっておりました。こんどは、水に浮かべて楽しみました。そうして、次の日。紅に斑点があらわれ、そっと、土に還しました。(上島)

 花開くその一瞬、蜜の滴るその一瞬、只今のその一瞬こそが永遠の只中。(上島)

 彼岸の折、ひょんなことから資料ファイルを開きました。そしたら彼岸の間中、そこから戻って来れなくなりました。
 たとえば、敗戦後につけられた父の黒い手帳が一冊でてまいりました。ぼろぼろの黒い小さな手帳を開くと、「甘藷の植付法」やらへたな俳句やら短歌が書かれています。父は、農業「指導」の仕事をしておりました。「亡き戦友(とも)の墓前にむかへば過し日の命を賭せる湖南の惜別」「戦友の死して帰還(かえ)れる御霊に花を捧げん生還(いけ)る我は」
 大酒を飲めば決まって「23で死んだ身だから」と、虚ろな眼を空に泳がせ言っておりました。生き残った者のあわれと虚無が私にうつり、戦争だけはいやだ。足元の、そして、わが内の平和をつくりたいものだとおもいおりました。
 人を殺すというのは、つらいことです。殺されるのは、もっとつらいことです。父が58で脳いっ血でパタリと逝ったとき、「終わった」とおもいました。そして、かなしみのあと、「父は病気で死んだのだ。戦争で死ななくてよかった」と安堵しました。父は高貴な人でした。(上島)

 言葉は、墓標。よろこびにみちかなしみにみちる。道標。(上島)

 お互いがお互いの記憶にとどめあう。そんな実験集団をつくってみようではないか。

 お休みどころでは、看とり(ホスピスのような)のはたらきをしたいものだと願っていました。そうしたら、神田橋さんが、堂園メディカルハウスを紹介して下さいました。なぜそう思ったのか。母の亡くなるひとつき前に見た夢のちからが大きくて。
 母の看護で眠られぬまま朝を迎えたその狭間に見た夢。天から白い光が注がれて、おごそかな声がきこえます。「終わりに幸せな死があれば、わたしは、ここにいて、うれしい。」
 途端、母はじきに逝くだろうとわかりました。そして、マザー・テレサがなぜ「死者の家」を開いたのかも。
 母の介護に京都から出向いておりました折(熊本まで)、たまたまみたTVで3つ心に残ったものがあります。そのひとつが、タイのエイズ・ホスピス寺院でした。それにつらなるお坊様が(去年の12月と)この4月にも、論楽社で講義をなさいます。
 味わい深いものです。一生つづくこのジタバタ劇。(上島)

踊り、踊る、踊れ。ともに、どうぞ、とくと、ごらんあれ。“dance, dance, dance"
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