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お休みどころ 2005年3月15日 火曜日

 3月2日、山を下り、グレッグ、おきの、上島の3人は宮崎港からフェリーに乗り、翌朝大阪港へ到着。途次、山下満智子さん(75)を見舞います。岡部伊都子さんに14歳のときに出会った満智子さん。以来、彼女を姉と、師と慕い、彼女の服を作りつづけます。一片の布のいのちをも生かす名人。が、去年、脳梗塞を得、自宅で共病生活。3人でひょっこり顔を出すと、涙なみだの満智子さん。「いまから愛生園に行く」といえば、「ええなあ。金泰九さんや宇佐美治さんによろしくいうといてな。」満智子さんは戦後まもなく、バレエ団の慰問興業で、島を一度訪ねていたのでした。満智子さんと同じ年ごろの若い娘さんたちが、「恩賜寮」から手を振って、「また来てねェー」と見送ってくれたそうです。「患者用」と「一般人用」、舞台も2ツ、見送る者と帰ってゆく者も2者、何から何まで二ツにわかたれたもののなかで、わが存在をとりおとしそうになったそうです。どうして私が、彼女たちでないのか、と。
 1年半ぶりの愛生園訪問です。万霊山(納骨堂)は建てかえられ、生き残った友人たちは元気です。3月4日、ちょうどその日は母の命日。崖に一本、なだれるように満々と咲いている梅の一枝を手作り、脇に咲く藪椿も一輪添えて、万霊園の花いけに、捧げます。島の海岸(新良田)で撮った写真が、母の遺影でしたので(撮影したのは、おきのさん)母もよろこびましょう。「島の人はこの丘を呼んで万霊山というが、この万霊山こそ長島愛生園全体の背景であり、死こそ生全体の背景なのだと思う。少なくとも、私はここに来るとき、いつも死の相のもとに生を眺め、死者の眼の前で生きていることを痛感せずにはいられない。」     (『人間をみつめて』神谷美恵子)
 今回、この一本を、携えてゆきました。折も折、才津原さんが届けてくれましたので。
 3月6日は、川村幸司さん、山崎圭子さんの結婚式。論楽社ファミリー(虫賀、グレッグ、おきの、上島)4人で出席。スピーチを頼まれておりました。何を贈ろうか。わざと考えないでおりました。言葉がノックしてくれるでしょう。それを待っていたくて。式場に向かう電車の中で『人間をみつめて』を読むとまもなく開いておりました。これにしよう。生きとし生ける者、平和の種を育てるべくあるのだから。

「有名になることは醜いことだ これは人間を高めはしない 文書にしておく必要はなく 草稿のままで惜しむがよい
創造の目的は献身にあり 評判でもなく 成功でもない ついうかうかと みんなの口に のぼるのは 恥ずかしいことだ
そうだ 偽りの名声に生きてはならぬ つづまりは このように生きることだ 宇宙の愛を自分にひきつけ 未来の叫び声に 耳を澄ますのだ
ほかの人々は 生きた足跡をたどって 一歩一歩 おまえの道をくるだろう けれど 敗北と 勝利とを おまえ自身が区別してはならぬ
     B.パステルナーク 稲田定椎訳」
          上島聖好

 3月2日にお休みどころを出発するまで静かに生活を楽しんでいました。お昼は外で仕事して(お風呂の火を点けたり、くみとりしたり、薪をつくったり)、夜は炭のおかげでぬくく過ごしました。末雄さんに鋸の世話、ここに生きることを少し教えていただきました。
 1年半ぶりに愛生園で会った人のハンサムさに感動しました。自分たちの苦難の歴史が人の役に立つ。その喜びから元気が湧いています。今から小鹿島(ソロクト)(韓国)を含んでたたかっていくそうです。
 京都では雪が降りました。溶ける雪の音は世の全てが舞っているようです。幸ちゃん圭子ちゃんの結婚お祝いにもいろいろな踊りがありました。83歳のおばあさんから若い人に至るまで。
          グレゴリー・ヴァンダービルト
図1

 岡部伊都子さんが引越ました。“小さな住まいでは使えないから持っていって、好きなものを”といわれ、たくさんのなかから、小さな花びんやらをいただきました。なんだかなつかしい花びん。お休みどころに帰りついてみると、光明園に入所しているFさんの作品。「千」とサインが花びんのお尻にしてあるのです。彼女の作品を以前にいただいているのでした。2ツ並んでいます。1993年2月11日、はじめて万霊山に立ったとき、「ここはアッシジ。私はここから出発しよう」とおもいました。12年後、「島田等さんたちを、この島で能・次の冬という形で荘厳したい」とおもいました。
 「続けることが大事」と今回会った井本伸廣さんも鶴見俊輔さんも異口同音。「神谷美恵子は絶望を持続することで“らい”療養所に行った。」と鶴見さん。私は私の虚無を保っていてもいいのだ。
 荘厳しつづけること。(上島)
図2

図3


 20代はじめ、出会った虫賀くんは熱く語りました。「理想の出版社をつくりたい。それは、学校も病院ももっている。たとえていうなら、近江兄弟社のような。小さくてもいいのだ。」いま、小さな芽がほよほよと風にそよいでいます。(上島)

 松本耕一くん(1歳5ヶ月)に、虫賀さんが絵本読みきかせをしました。『ねぎぼうずのあさたろう』『うんこ日記』。(興野)
図4

 川村くんのおばあちゃんの花笠音頭。(興野)
図7

 「結婚は千日回行」と、虫賀くんから人に贈る言葉。「ほんとうにその通りです」と圭子ちゃんのおじさまが握手を求めにやってまいります。(上島)
図6
図5


 人吉と宮崎間のバスでは、映画がみれます。(残念ながら、最初から最後までは見れません。)今回見た2本、ともにいい映画でした。『ザ・メキシカン』(聖杯伝説)と『フリー・ウィリー』(シャチのウィリー、そして11歳の少年)。(興野)。
図1

 留守の間、末雄さんがチビをみてくれました。発つ前にあらわれたオスの捨て犬。チビのボーイフレンド。いまもうろうろしています。(上島)

 竹村千佳子さんに3人で書を教わりました(来迎院の竹村さん。論楽社の看板を書いてくれた人)。(興野)
図2

 フェリー(大阪←→宮崎)の帰りの便。2等は満席とのことでしたが、どういうわけか席をとれました。低気圧接近で大きくゆれゆれ。波にゆられ。(興野)
図4

 「人間として生きる最高の目的は、自己の霊性を高めることである」(『日に新たに』信楽香仁著 くらま山叢書)。(上島)

 東寺五重塔一階がたまたま公開されていました。四方に仏さま。花曼茶羅。(興野)
図5

 薪ストーブに羽釜をしかけ、石をつめてダッチオーブンにしていました。ですが羽釜がアルミ製。1ヶ月もしないうち、溶けて底が抜けました。せっかくピッタリ収まった羽釜なのに、せっかくパンも焼けたのに。と僕は執着。ですが阿部さん、マックさん、石原くん…にすすめられ、ついに羽釜をはずしました。はずしてみると、よく燃えるし、あたたかい。(興野)
図6

 一番の仕事は私を射ぬく矢を花に変えることである。(上島)
図7
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