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お休みどころ 2005年2月22日 火曜日

 2月13日に石原孝之くん(ダンサー)到着。グレッグさん、阿部雅弘さん(大工)たちと、16日の北御門二郎祭の準備をすすめました。前々日も前日も雨。当日の夕方までがくもりで、あとは雨。ですから、屋外で二郎作品朗読(聖好さん)、もちつき、すすぐ・たえ子さんのスピーチ、石原くんのダンスをできたことは、まさにみなさまの祈りのたまものです。
 雨だったらどうしよう、と相談するうち、阿部さんたちが納屋の中にある壊れたかまど(昔、お茶を炒っていた)を、火語りスペースに改修してくださいました。前日、塩と焼酎でお清めして火入れ。納屋に火が入ったのは何年ぶりか。皆で放心。(かまどの上の神棚に以前から聖好さんは火の神さまを祀っていました。)
 当日は11人。もちつきは僕の計算ミスで2臼の予定が4臼に。蒸し方が足りない、など困りましたが、遠来のマックさん(ログビルダー)、有村さん(造園)、川村くん(福祉)、圭子さん(陶芸)たちが助けてくださいました。有村さんは紅梅植樹、阿部さん太鼓と歌。当時来れなかった斉藤ひとみさんのコカリナ(オカリナの小型)や井上美貴子さんのお花など、みなさんの供物で二郎祭に花が咲きました。
     興野康也

 2月16日は二郎先生の92歳の誕生日でした。二郎先生の卆寿お祝いのとき、聖好さん興野君がこの家をはじめて下見してから二年がたちました。
 「父の祖母が2月16日に亡くなったので父も同じ日に死にゆきたいものだといっていた」と長男の北御門すすぐさんが言いました。
 おばあさま(塩見スマさん)は明治時代ロシヤ正教の信者になったそうです。トルストイと出会う前から二郎先生の心を育てた人でした。
 有村さんにいただいた紅梅の木はもう直ぐ咲くでしょう。楽しみにしています。
    グレゴリー・ヴァンダービルト

 「トルストイは、小生にとり、そこから光が射してくる窓なのです。…この窓から射る光に、小生は顔をそむけることが出来ません。それは小生の生存を支える物自体なのですから。」(『ある徴兵拒否者の歩み』より)

 「聖杯は人間意識のうちで最も崇高な精神的潜在能力の実現を象徴しています。私たちにできる最善のことは、光に近づくこと、苦しむ者への思いやりや他人に対する理解などから生じる平和な人間関係に近づくことです。それが聖杯の本質的な意味です。」(『神話の力』キャンベル)
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 2月18日、才津原さんが“人間をみつめて”(神谷美恵子コレクション、みすず音房2004年)を送って下さいました。2002年、朝日新聞社版の“人間をみつめて”からハラリと落ちた一片のきりぬき。これが北御門二郎さんの文章でした。亡き父が私にきりぬいてくれた記事を見て、二郎さんを訪ねようとおもったのが、只今のはじまり。ふしぎ、ふしぎ。いま、ここにこの本が流れついた。
 ハラリと本を開けると、愛生園の存知あげている人のことが書かれています。「『先生、ちょっとぼくのやっている翻訳をみて下さいませんか』みると、少し不自由な手で、分厚いフランス語の本を胸に圧しつけるようにして抱いている。むつかしい歴史の本である。びっしりときれいな細かい字で記した大学ノートの訳文とつき合わせてみると、ほとんどまちがいがない。この人は少年の頃、発病して入園しているはずだ。」彼は、ラジオで独学したという。「『べつに出版のあてがあるわけではありません。ただ、いったい、自分のやっていることがまちがいないか、それを知りたかっただけです。』
 彼のにこにこした顔をみて思った。要するに金や報酬や名誉の問題ではないのだ。自分のいのちを注ぎ出して、何かをつくりあげること。自分より永続するものと自分とを交換すること。」(P.170.“人間をみつめて”)
 生前、ここに書かれているNさんに私は会ったことはありません。(島田等さんの親友でした。)Nさんのなんと二郎さんに似ていることか。Nさんは、乏しい生活の中から何人もの人に学費を出してあげていたと、中村保子さんからうかがいました。

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火を囲むこの風景、どっかで味わった。有村さんがつぶやきます。

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なつかしさ。DNA30数億年の旅路。
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