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お休みどころ 2004年12月2日 木曜日

 お休みどころのみごとな看板を作ってくれた大益牧雄さん。大益さんの個展が11月に京都であるときいていましたから、まだかまだかと気になっておりました。待てど暮らせど知らせがない。11月も終わりに近づくころおもいきってでんわしてみると「台風の被害がひどくって1月に延びたんだよ。3日停電、1週間道路不通。」そういえば「涙骨賞」の発表も11月。
 9月15日、岡部伊都子さんからおきのさんに手紙が届きます。あけてみるとハラリと『中外日報』。「第一回涙骨賞」募集と書かれています。中外日報は文筆家として立つ前の岡部さんにとって因縁の人、真渓涙骨(またにるいこつ)氏の興した新聞社。しめ切りは9月30日。それもワープロで。1等賞には30万。よし、これだ。これで納屋の2階を改築しよう。材木を買って、みんなで建てよう。さて、ワープロは誰に? ちょうどでんわをもらった石原くんに。彼の舞踊のようにワープロも軽やかだろう。が、11月になっても梨のつぶて。大益さんにでんわした翌日おきのさんが中外日報にでんわをすると「とりこんでおりまして。たぶん12月くらい…。」やれやれ。
 その翌日、北御門すすぐ・たえ子さんが来訪。お二人が来て下さるのは春以来。それから二郎さんは入院されます。薪、とうがん、うこん、豆腐、石けん、米、大根、あげつくね、しいたけ、抱えきれないほどいただきました。畑の成育にも、にっこり。
 なぜここに漂着したのか。良寛さんの「宮川浜」。2002年3月はじめて二郎さんにお会いしました。「わたしを越えて下さい」と二郎さん。もろてを広げて迎えるその「ようこそ(無私)精神」に打たれました。言行一致の人。
 二郎先生は滝川幸辰氏を介し、河上肇と出会います。河上の晩年3年間に16通もの書簡を交わすのですが、34歳年下の二郎さんに、河上は食料を送ってくれと頼むのでした。二人はたましいの深さにおいて、つながります。「宮川浜」は、先住民(熊襲)の地でもありました。いまは打ち棄てられた地。先住は先獣。みごとに青々と葉を茂らせたうまいサクラジマダイコンをシカはワシワシとくってくれました。「ネットをはりなさいよ。1300円よ」とすすぐさん。さて、どうしたか。図をごらんあれ。
 図1

図2

図3

図4

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