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お休みどころ 2003年6月13日(金)

  今日は朝から霧が濃かった。今では霧がきれいに晴れ、いい天気。鳥の鳴き声が聞こえてきます。先日、松本剛一さんが贈ってくれたラグビーボール形の大机に向かい、グレッグさん、虫賀さん、僕とでお休みどころ通信を書いています。風も気持ちいいですし、谷沢の水音も気持ちいいです。四日間お休みどころで大ゴミ掃除。レンタカーの軽トラックに13台分のゴミが出てきました。洗濯機4台、風呂ボイラー4台、冷蔵庫2台、もみがら脱穀機2台(これが本当に重い。4人でやっと運べる重さ)。空一升瓶は数知れず。鉄クズ山ほど。などなど、まーもう本当にたくさんのゴミが出るわ出るわでひたすら片付けていました、ずいぶんきれいになったと思います。これを書き終えたらみんなで辺りを散歩するつもりです。どんなすてきなところが見つかることやら。お家が少しずつ、でもたしかに元気になってます。これからも少しずつお家が広がり、庭もお家となり、畑もお家となり、森がお家(お休みどころ)となると思います。とっても楽しみです。よかよかです。あー楽しかった。
              川村幸司

 虫賀宗博です。6月10日に、やっと「お休みどころ」に来ました。標高は700mぐらいでしょうか。山キノコのようににょきにょきとはえている山群の中腹にあります。したがって、見晴らし良好であります。風がふきあげて、山好き森好きのひとには、きわめてよいところです。川の流れおちる音(ね)はたえずきこえ、ホトトギスは陽気にでかい声でうたいつづけています。近くには、落差100mくらいの瀧が2本あり、つり橋もかかっており、渡ってきました(高所恐怖症のひとにはすすめられない、すごくこわーい、でも絶景の橋)。
 これからは、「川から取水するホースをとりつけて、田や庭に水を入れること」「たい肥をつくれるようにする」「屋根まわりを修理すること」などの作業が必要かな、参加しようかなと思っています。
 今回のワークキャンプは、ゴミ出しの手伝いとたき木づくり、ゴミやき、などを私はやりました。(作業着、着がえをもって、みなさんも来てね。)
 きのうは1日、北御門(きたみかど)二郎さん宅で、手伝いをしました。森に入って、木を切って、それで杭をつくり、田んぼに立てるという作業です。生(なま)の二郎先生にもお会いでき、うれしかったです。きょう、「ちくまクラシック文庫」(こんど新刊行)に『文読む月日』が入ることが正式に決まったニュースが入り、お祝いしました。
 北御門すすぐさんの田畑づくり、家づくりの工夫のひとつひとつがおもしろかったです。衣食住のひとつひとつをつくりあげていく姿が参考になりました。
 私の新生活も、ひとつひとつやってつくっていく喜びを重ねていきたいと思います。

2003年6月14日   グレゴリー・ヴァンダービルト
 6月9日から14日までここ水上村に過ごしました。ロサンゼルスから鹿児島まで飛行機で来て、それで人吉で川村君と会って、軽トラで川村君の運転で山を登りました。前の住人のごみの量がものすごく多くて、昔の山暮らしと今のごみ社会との違いをはっきり感じて、簡単な生活もすごい働きがかかることがわかりました。その軽トラ13回一杯にして下のリサイクルセンター「ぼろ屋さん」へごみを運びました。幸司・グレッグコンビがとても良くて、山道工事のため待つとき、立ち小便も一緒。ごみをどんどん捨てて空に近くなるのはうれしいことです。
 お休みどころには聖好さん、康ちゃんの心、それでこの二人につながっている家族の兄弟姉妹の心を感じています。聖好さんの不思議な言い方で、「ここでは、死んでしまった人と、まだ生きている人は同じように近い。」あまり出かけられないところですが命と近い。
 今日の発見は川で遊べることです。一つは虫賀さん、一之瀬さんが平谷公民館を歩き越えて見つけた、広いところです。魚帰り川。あそこで虫賀さんがカメラを手に取って、オーバーな監督になりました。グレ幸司心中・オフェリア場面を作りました。もう一つのところは公民館からちょっと上がって川ぞいの草道に100mぐらい入るところです。プールいくつもあるし、石もきれい。日当りも一日中よさそうなところ。虫賀さん、川村君が出発してから興野君と行きました。彼、裸足、僕裸。ゆっくり川遊びしました。ここへ来てから彼とやっと楽。去年、家さがしをしていたとき、いくつかの希望があったが、第一は水。それで、場所を味わうように川に遊ぼうと、約束しました。ここは大成功。
 僕がここにいたうちに剛一さん・晶子さんからテーブルが届きました。美しく、木造です。ラグビー・ボール型で面白い。
 かんばんを楽しみにしています。茨木のり子さんが字を書いてくれるそうです。うれしい。「お休みどころ」は茨木さんの詩から湧きましたから。「A Resting Place」として僕と興野君がこの詩を訳していたとき、四国遍路のためのお接待所を思い出しました。お遍路さんの生き方―命を接待としていただいて「同行二人」の心に歩く−は僕にとっては平和。

 2003年6月9日(月)グレゴリー・ヴァンダービルトさんカリフォルニアからやってくる。京都から夜行バスで来た川村幸司さんと人吉(ひとよし)で午前10時に待ち合わせ、レンタカー(軽トラック)を借りて、1:00すぎお休みどころ着。
 6月10日(火)京都から夜行バスで虫賀宗博さん、一之瀬裕美さんが来る。
 6月13日、早朝一之瀬さん発つ。昼すぎ虫賀、川村さん発つ。
 6月14日、昼すぎグレッグさん発つ。   (上島記)
 
 2003年6月16日
 人数の力は大きい。ふだんは考えられないほど仕事がすすみました。川村くんもグレッグさんも虫賀さんも着くなり働きづめで、なんという気前のいい人たちだと感激です。北西の朽ちた柱に雨どいから水が注いでいたので、雨どいを外しました。そしたらこんどはアリがそこに巣をつくりはじめたようで、アリが運びだした木クズの山が柱まわりにできています。アリの進入路を新聞紙でふさいでも、また別のところからアリの列。とにかく掃除したり修理したりしながら家になじむほかありません。
 ゴミを引きとってもらうのにかかったお金は42210円、レンタル台が21405円で、ゴミのために63615円使ったことになります。
 これでも川村君とグレッグさんのおかげで相当安くなっています。冷蔵庫や洗濯機は電気屋さんに持っていくのですが、通常は新品に買いかえないと引きとってくれないそうです。粗大ゴミは人吉の処理場に自分で持っていくしかないとのことで、そのためにわざわざレンタカーを借りてもらったのですが、実際行ってみると「これは受けとらない」「タイヤはあそこの施設」といった具合で引きとってくれないそうです。そこも川村・グレッグの機転でクリアしたのでした。処理場とは名ばかりで、ただ巨大な穴にゴミを投げこんでいるだけ、これがゴミ問題の実態。
 6月8日に地区の空き缶ひろいに参加しました。その際ゴミ袋の出し方が問題になりました。この地区では「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」を別々の袋につめて集配場に置いておくのですが、その区別がものすごく厳密なようです。たとえばガラスの破片が危ないから布でくるんで燃えないゴミに出すと、布は燃えるからつめかえるといった具合です。空き缶拾いの時間に大勢の人が寄ってたかって、僕たちのゴミ袋をつめかえてくれたのでした。それで事はおさまらず、僕のゴミ袋の出し方のマナーが悪いので役場の人に指導してもらうとの呼び出しを区長さんから受けました。(ゴミ袋が破れていたり、ゴミが少しはみ出しているのが理由のようです。)行ってみると役場の人たちもゴミ収集のおじさんも、そんな細かいことは気にしないふうで、問題は区長さんの気質なのだとわかりました。
 その後役場の人たちは家の様子を見に来ましたが、「よかなあ、家の中にはいって安心した」とゆっくりコーヒーを飲んでくつろいで行かれました。ゴミ出しの大変さをいくら訴えても他人事だった役場の人たちの胸に、家の美しさが言葉を届けてくれたのでした。

 今日は思わぬお客さんがありました。椎名健さん。熊本県宇土(うと)の海路口(うじぐち)から、今朝とれたアサリを売りに来られたのでした。500g、350円。3袋1000円にしてもらいました。この家ではふいに行商の人がやってくることがあります。薬屋さんも来ましたし、「馬肉鹿肉なんでもあります」という馬そっくりのおじさんが来たこともありました。
 椎名さんの光ある表情にひかれ、一服していってもらいました。海路口は白川と緑川の河口にあり、そういうところにアサリがよくとれるそうです。四年つづきの不漁でまったく商売にならず、いちかばちか海の底をクマデのような機械で耕してみたところ、今年はまあまあとのこと。川からの汚れが多すぎて海の底にうっ滞しているのでしょうか。白川は聖好さんの弟さんの家のすぐそばですし、身につまされる話でした。
 球磨川源流の自然がいきいきすれば、とのおもいもあってここにきたので、聖好さんは海の人との出会いを喜びました。実は聖好さんはこのところ「海の家にも住んでみたい」と言い出していました。この家一軒でもアップアップなのに、さらにもう一軒!と僕は内心不穏になっていたのですが、こういう出会いの予言だったのだとおもってひと安心です。
 きのう来た役場の人たちも「自分たちにとってはスギ一色よりも自然林のほうがありがたい」と言っていました。この家の敷地にはスギ林がありますし、すこしずつでも雑木材に戻していくことが案外早くできるかもしれません。
              興野康也

 四日つづきの雨。
 あたりいちめんもやが立ちこめ、壊れたように雨。乳色一色の世界に包まれていると、ここは山とはおもわれず、海の底に住んでいるよう。おまけにサワガニがそそと土間を這っているとただでさえおかしな私の時空感覚はますますあやしくなるのでした。
 藤田省三先生が逝きました。
 「お休みどころ」舞台の第一幕が終わったころに。
 火をいただきました。いつも照らしていて下さるな。
 この喜劇模様を。安心のかがり火。

 きょうもどしゃ降りの中、椎名健さんが訪ねてくれました。
 「ごめんください。ごめんください。アサリはいりなはらんですか。」雨戸のむこうから、小さく声がします。ていねいにアサリの冷凍のしかたを教えて下さいました。おまけに「引越祝」にと、アサリのつくだ煮もいただきました。立ち話ではナンだからと、お茶をあがってもらいました。
 「こうしてあるいて十年。生まれは横浜ですが、家内の両親が年をとったので、『マスオさん』になりました。海ですか。不漁つづきです。ノリの種をうえつけた網がひとつ15万。それが一回の赤潮でみんなダメになるのですから。多くの人がやめてゆきました。たくさんの借金をかかえて。森を守らんば海はダメになります。川辺川ダムができたら有明海は死にます。クニのいうとおりにしとったらひどい目にあいますよ。一番かわいそうか人は、五木の人です。こうして回って、話をきいてみておもいます。」椎名さんは涙をうかべます。
              2003年6月17日 上島聖好
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