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お休みどころ 2004年8月1日(日)

  6月11日に北御門家で田植えを手伝わせていただきましたが、その数日前から北御門二郎さんは肺炎で入院しておられました。それからの二郎さんの体調は山あり谷ありで、介護の中心である北御門すすぐ・たえ子さんに電話しても毎回状況がちがうのでした。6/29の段階で、意識レベルが落ち、応答があまりなく、MRSA肺炎だとのことでした。7/3には最期を自宅で、とたえ子さん、すすぐさんが決意されています。あさって引きとるとのことでしたので、上島聖好さんの案で退院お祝いのパンを焼きました。ところがパンをお届けする7/5には、二郎さん再度発熱で入院延長。以後も回復傾向と発熱をくり返し、血圧も一時期、上が80まで落ちたのが7/9には150/90まで戻っています。二郎さんをお家に引きとるタイミングがなかなかみつからず、これからどうなっていくのか、看取りの方針が決まらない。すすぐさんとたえ子さんもしんどそうでした。それでも親族の方たちが入れかわりたちかわり会いにいき、二郎さんもお孫さんの『文読む月日』朗読に反応されたりしていたそうです。
 僕たちは7/13出発で旅に出、聖好さんは7/16に論楽社、僕は7/17に鹿児島の堂園メディカルハウスに着きました。着いたその日に聖好さんから二郎さんの死の連絡を受けました。前日までは二郎さんは回復傾向だったそうです。ところが夜中の3時に急に病院から電話があり、すすぐさんが駆けつけたときには体温こそ残れ、事切れていたそうです。
 二郎さんの食が細くなっていったのは肺炎で入院する1、2ヶ月前からだそうです。(それまでは甘いものなどは好んで食べられていたそうです)老衰と言えるとおもいます。
 24日1時からの葬儀のため、聖好さんは前日に飛行機で鹿児島に着き、当日朝からバスで水上村に向かいました。会場には、100人ほどだったでしょうか。あふれんばかりの人をおもい描いていただけに、少し寂しいものがありました。葬儀が始まるまで、会場外の大きなテレビに4年前の二郎さんの映像(NHK『こころの時代』)が写っていました。二郎さんは7年前、ストーブCO中毒による脳梗塞に倒れ、体力、意識の明澄度ともに落ちていました。その二郎さんが、徴兵拒否の心境をテレビの中ではっきり語られます。「死によっても殺されえないものがある、と本能的に信じた。」葬儀中、ギリシャ正教式の聖句朗詠が長く続き、暑さで頭クラクラ、と隣のおじいさんが言っていました。「霊や、爾(なんじ)が今行く道は幸いなり、安息の所爾の為に備へられしによる。」二郎さんは、教会という形が信仰なのではないというトルストイの考えに従って、教会には行かれなかったそうです。それでも二郎さんにふさわしい言葉だとおもわれました。
       興野康也

 堂園(どうぞの)メディカルハウスをたった1回とはいえ研修させてもらったあとだからこそ、二郎さんを心しずかに見送ることができたのでしょう。訃報を得たのは、論楽社で。それも才津原(さいつはら)哲弘さん(滋賀県能登川町立図書館々長)からのでんわでした。「いま北御門さんの本を借りに来た方が、そうおっしゃるのです。夕刊を見たら、出ていました。ご存知でしたか。」知りませんでした。12日、北御門宅にでんわをし、病状をうかがい、「あすから京都にむかう」旨を申しました。13日夕方、宮崎をフェリーで出発し、高野山、神戸(操体の中川重雄氏訪問)、興野はそのままフェリーで鹿児島、私は京都へ向かったのでした。
 ゆるやかな「大家族」のような看取り集団を。省三さんや二郎さん、島田等さんを見送ったようなはたらきを「お休みどころ」の骨一本にしたいな。お大師さまと「同行二人」で果てた「島田等さん」たちの足跡をたどってみようと、高野山巡礼をおもいたちました。
 13日早朝お休みどころを出発。多良木(たらぎ)という最寄の町で、興野の免許更新のため、小さな写真館に立ち寄ると、高野山金剛峯寺のポスターが貼ってあります。高野山では、円錐形に山と積まれた無縁仏地蔵のすぐ脇で、「長島愛生園大師講」と「邑久光明園大師講」のふたつの供養塔にたまたま出会いました。このために来たのだとおもわれて、墓掃除。近くに流れていた山の水と、おいてあった柄杓とで、浄めました。なぜか、「さくらじま荘」と印刷されたマッチ箱1ツ持っていたので、燃えさしのろうそくに火を灯し、友人から託されていた線香をつけたのでした。近くに咲いていたミヤコワスレも捧げました。と、車椅子の人が近付いてきて、「以前、愛生園の人の話をきいたことがあります」と言って、参ってくれます。しばらくすると、通りがかりの女性が「あら?長島愛生園?」つれとおぼしき人が「ナガシマカントクのオリンピック、どうなるんやろ」とにぎやかに。ふしぎの高野山でした。そうして、二郎さんの死。
 「乗っていきなはらんですか。」二郎さんの葬儀で出会った三重子さんが、私たちを誘ってくれました。郵便配達の仕事があるので、軽トラックの荷台に興野を、助手席に私を乗せて送ってくれるというのです。喪服でエレガントな三重ちゃんが、「あつかなー」と言いながら、スカートの裾にひらひらと風をいれ、グイッと足を踏んばって急な山道を運転する姿は、カッコイイ。途中、夕立に降られ、興野はびしょぬれ。帰りつけば、カボチャ、トウガン、キュウリ、オクラ、フキ、ニガウリ、イネ、アサガオ、グラジオラス、みんなシカに食べられていて、三人、絶句したのでした。
        上島聖好
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