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お休みどころ 2004年5月15日(土)

 4月20日、明日からの熊本への旅の準備をしていると、お休みどころのたんす貯金が尽きました。お休みどころに来て以来、お金のことはできれば考えたくない話題でしたが、仕方ありません。お休みどころの収入は、現状ではお布施のみですし、旅費をのぞいても生活費が月に3万円ぐらいかかります。(だいたい、お家賃5000円、電話5000円、ガス3000円、灯油が冬に5000円、食べもの3000円、その他。切手や食べものなどたくさんの支援をいただいています。)僕が医療面でなんとかできないかと、考えたのですが、まだ鹿児島の神田橋條治さん(精神科医)に弟子入りしたばかりですし、二泊三日で鹿児島に学びに行くと上島さんと二人で5万円かかります。お金のことだけを考えるとどうにもならない状況ですが、ふしぎと、お金について考えるうち、いろんなアイデアが出てきます。突如、聖好さんが、僕がホスピスで医療ボランティアしてみるのはどうだろうかと言いだしました。ホスピスというとまず思いつくのが鳥取の徳永進さん(内科医)の「野の花診療所」ですが、いろんな人に相談するうち、鹿児島にも2ヶ所ホスピスがあること、野の花診療所は日本で二番目の民間ホスピスで一番目は鹿児島にあるらしいことがわかってきました。聖好さんがホスピス修行案をおもいついたのにはいろんないきさつがあるようですが、神田橋さんの示唆も大きいです。神田橋さんには「僕は病院での臨床研修を受けるべきか」に始まってあれこれ迷い相談に乗っていただいてきましたが、そのなかでお休みどころに死にかけた人が来たときに、祈ってあげたいか何らかの医療処置もしてあげたいかを考える基準にしてはどうかと言っていただいたのです。祈るにも技術があり、人に休んでもらうにも技術がある。医療面を模索するうち、そんなことがわかってくるかもしれないとおもいます。
 そんなわけで神田橋さんにホスピス修行ボランティア案を相談してみると、なんと神田橋さんは「堂園(どうぞの)メディカルハウス」というホスピスの院長と友人で、僕たちの見学許可まで得てくださったそうです。今月末、鹿児島に行ったときどう展開するのか、たのしみです。
 お金のことは、地元で日銭をつくったらいいとアドバイスしてくださる方があり、そういえば求職案内の回覧もあったとおもいだし、この近くでアルバイトを探してみることにしました。郵便配達の三重子さんと話してみると、このあたりではなかなか仕事がないそうで、1年間で5万円の公園トイレ掃除アルバイトも順番待ちだそうです。「いちばんいいのは土方、道路工事。あれなら5日がんばれば5万円ぐらいになる」と聞き、おもわず、うん、いい、とおもってしまいました。いままでは「なんたる無駄な」としかおもわなかった公共工事が、なかなか減らないのもすこしわかる気がします。

 次に北御門すすぐさんに相談してみたのですが、意外なことに、激しいお叱りの電話がありました。ここでの生活は無理です。お金をつくりに京都に帰ってください。外で働いて稼ごうなど都会人の発想。それだけの敷地をタダ同然で借りておきながら、全然活かせていない。などなど、あまりの激しい口調に聖好さんも呆気にとられ、かなり混乱もしましたが、要するにすすぐさんは僕たちが農業や自給的生活を第一の柱にすると考えておられたようです。お休みどころはスギナやヨモギなど「草まるけ(草だらけ)」の畑ですし、荒れた田畑のカヤ刈りなどもすすみませんでした。第一、僕の農作業への意欲が低く、そこをお叱りになったのだとおもいます。
 ちょうどすすぐさんのお叱り(5/1)に当惑していた5/2に、僕のいとこの笹本太郎さん(31歳、精神科薬剤師)がお友達と二人ではるばる茨城県から来てくださいました。太郎ちゃんは夜行バスと電車とタクシーで来てくれる予定だったのですが、出発二日ほどまえ突然聖好さんがレンタカー案をおもいつき、人吉からレンタカーで来てもらいました。このおかげで助かりました。5/1でお休みどころは一周年ですし、すすぐさんや、村内のお世話になった人たち10軒に、茨城みやげを持ってレンタカーでいっしょに回ってもらったのです。すすぐさんに会ってわかったのは、実はこの通信「お休みどころ」も怒りの種だったということです。近所の人の悪口を書くなど言語道断。いずれかならず耳にはいる。犬の悪口ですら、書いちゃいけないのではないか。書く必要のないことを書くからボロが出る…。こういう厳しさと用心の必要を教えていただきました。
 水上村に住んで8年になる人にアルバイトの相談をしてみると、時給600円〜700円ぐらいで民宿やいちご農家などの仕事があるそうです。でも、「酒のつまみ」(噂話のネタ)にされるのがオチ、とのことでした。いったん地元の人と付きあいだすと密になりすぎて困るから、ゆっくりがいい。お金はへらすだけへらしたら、とのことでした。
 とにかくアルバイト案はうまく進みませんでした。いまはその時期でないのだとおもいます。あるだけのお金をみんな学びに使い、またそのときどうするか考えようと話しあって決めました。
        興野康也

 熊本に行くことになったのは、私の歯が痛みだしたからなのでした。高校時代の友人のつれあいが歯医者。彼女に20年ぶりくらいに会うかたがた歯の診断もしてもらおうという段取りなのでした。そして、会計係のおきのさんがひきだしをあけて、「あ、ないです」。私が補充しそびれていたのですが、このさい彼に真剣に考えてもらいたく、あえて黙っておりました。ここの経済は、(論楽社を窓口とした)カンパで成り立っております。ですのでお察しはおつきになると思いますが、明日飢えるということは、ありません。
 困ったときは人の役に立つように、利他を行えと私は教えられました。それがどんな道なのかわからないのでしたが、折しも神田橋さんから一枚の葉書が舞い込みました。「ボクは昔から徒手空拳で、できることを拡げてゆきたいという願望があ」る、と。その言葉に導かれ心を探るうち、「ホスピス研修ボランティア」がとびだしました。わがあこがれのうちにあるタイのエイズホスピスやマザーテレサの死者の家。
 5月1日、お休みどころの一周年。ままよ、ととびこんで一年。いま、ここは信の海と思い定めたのです。かつて「らい者」と呼ばれた友人らが「深海の魚族」であったように、われらも信海の魚。応じてわたってゆきましょう、徒手空拳。
 通信「お休みどころ」も役目を終えて、呼べば応えるおたよりに専心いたします。毎月の「お休みどころ」はこれでおしまい。
 4/14〜4/18、堀田雄次さん(60歳、京都府宮津市)がみえました。たいへんな道のりをクルマに乗って。中学を卒業し、大阪で七年間電気工事店に住み込みで働き、技術を修得。親方に「教えることはもう何もない」と言われ、独立。当時500円の給料の中から、どこかにおもしろい話があるというと、電車賃10円を払って聞きにいって、学んだそうです。6000V の感電事故、狭心症、痛風。余りの滴のような生を傾けてここまで訪ねて下さいました。間伐、薪割り、カヤ払い。朝から晩まで働いて、身体の使い方を教えて下さいました。じつにていねいに身体を扱っておられ、美しい所作。あすも働くとは、こういうことをいうのかとおもいました。本職の電気工事もして下さり、うすぐらい客室に明りがもうひとつ付きました。さて、堀田さんがいよいよ発つ寸前、ふと壊れたままの柱時計と目が合って、堀田さんになにげなく「時計の修理、おできになりますか。」ときくと「私はできませんが、友人に時計屋さんがいます。」と堀田さん。この柱時計、大家さんがおいていったもの。去年の5月1日、横になっていたものを縦に起こすとひとりでに鳴り出したのでした。いわば、ここのいのちの音。
 「ひとつひとつ錆を落として掃除をするそうです。40日程でなおります。」宮津からおでんわをいただき、よろこびました。
    上島聖好

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