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お休みどころ 2004年3月1日(月)

 (3月は京都ゆえ、半月早い、半分量のお休みだより)

 先月の通信に続いて、またもや犬騒動です。いよいよ京都出発1週間前になり、お隣りのミツ子さんに「3/6から留守ですので、よろしくおねがいします」とあいさつに行ったのです。(上島注:ここでは一、二週間に一度は必ず回覧が回ってきます。平谷地区の平谷班は五軒。順々に顔から顔へ、回してゆきます。留守だったので置いといた、などというようなこともしません。本当の「あいさつ」は出かける前にするのですが、今回は長いこと留守にしますので、回覧のついでにも声をかけておこうと思ったのです。)するとミツ子さんがいきなり「犬のことじゃろ。私はあずかりきらん」と言うのです。ミツ子さんが言うには、末雄さんは朝8時から夜おそくまで土方仕事で、きっとだめだろうとのことです。出かけるまえになると、どうしてこう問題がおきるのだろう、と思いました。
 それを聞いて聖好さんがすかさず手元のお菓子をもってミツ子さんと末雄さんのところに行きました。(上島注:ミツ子さんには申しました。「犬のことなんぞでお世話かけませんからどうぞご安心ください。」と。)末雄さんはやはり留守。(上島注:「お元気ですか」の置き手紙を添えました。)前回の犬事件以来、末雄さんとは会っていません。どうだろうかとおもっていると、夜に末雄さんから電話があり、一件落着となりました。(上島注:「聖好さんやおきのさんの声を聞かんば、さみしかあー」と末雄さん。)
 「仕事が大変そうだけど、末雄さんの声が弾んでいる。やっぱり働くって大切ね」と聖好さんが言います。そうなのだろうとおもいました。工事自体は僕の目からすると、なんたる無駄な、としか言いようがない(道路拡幅。道路下の山肌をコンクリートで固め、植樹)のですが、末雄さんはよく「自分のおいがこの工事をやっている」と誇らしそうに言っていました。末雄さんは山の仕事がなくなり、一人居を楽しんでいると見えましたが、どこか寂しげでした。隣家の袈義(けさよし)さんと話しても「ここには仕事がない。経済性がない」と二言目には出ます。なんとかこの地で人が働けて、山川もいきいきできないものだろうかと願いました。
 しばしば猟犬の声と銃声がします。家のすぐそばで銃声がすると心に悪いです。末雄さんの家では窓ガラスも銃弾で壊れたと言いますし、聖好さんの案で、県と村へ投書してみました。シカの猟期延長への疑問と、住宅のそばでの猟の規制やマナーについて書いてみました。県からは返事がありませんので電話すると、自然保護課の中で最後に電話を回された男の人がシカがいかにたくさんいて、林業への被害がひどいかいっしょうけんめい話されます。(推定で県内48000頭だそうです。)ざっくばらんに話していくと、結局は山林が活きいき使われていないところが問題、と意見が一致しました。人がいきいきと働き生きていくことと、ここの自然が大切にされることには、やはり関係があると思いました。
 そうこうしているうち、ちょうどチビの散歩のとき、ゴミをひろっているうちに銃弾がつまっていたらしき物(薬莢)を4つ拾いました。いずれも家のそば。これをダシにして県や村(そっけない返事しかなかった)に問いかけてみよう、と話しています。
         興野康也

 3月6日から3月20日すぎまで、京都・論楽社です。3月20日、岡部伊都子さんと李広宏(りこうこう)さんの対話と歌の会を開きます。
 岡部さんの著書『シカの白ちゃん』(筑摩書房)を読み、李さんは感銘をうけ、ぜひ中国語に訳したいと岡部さんに会いにゆかれたのが昨年の10月8日。
 その日、五ヶ月ぶりに私たちは京都に戻り、岡部さんを訪ね、テノール歌手の李広宏さんの生の歌声を、岡部宅で拝聴したのでした。荒畑寒村翁も愛でたという岡部宅の二階は、比叡山を望み、絶景です。そこで繰り広げられた夢のような二時間。
 出会いっぱなしでは、申し訳ない。
 かたちにせねば、こころ苦しい。
 と、3月20日の会になったのでした。
 出会わせていただいた責任とでもいうのでしょうか。自ら生じてまいります。幸不幸ないまぜににして、森羅万象ひとつながり。
 「出会いというのは、偶然ではありませんね。」と先日、おでんわで、岡部さんにいうと、「必然の出会いや」と岡部さん。
 「私は岡部さんに出会って二十年以上経ちますが、(おもいが)どんどん深くなってゆきます」と申すと、「自分に出会うんや。」と岡部さん。
 そうかもしれない。出会う人、顔こそ違え、みな我分身。わたくしのいのちのかけらに出会っているのやもしれず。
 ならば今生の夢舞台。
 愉快にやりたいものではないか。
 2月16日は、北御門二郎先生の91歳の誕生日。(山を下りて、お祝いにまいりました。)一酸化炭素による脳梗塞を得て七年、ことしが二郎先生、「一番元気」。『文読む月日』(上・中・下とそろい、2月完了)をぼろぼろになるまで臥して読んでおられます。
 「戦争で人を殺すのは間違っている。徴兵が来て、球磨川にとびこもうとおもったが、どうせ死ぬのなら、検査場でそう言って死のうとおもった。」二郎先生は何度も語られます。
 「人間は平和に生きるように生まれついているのです。」
 「そうです。わたしは馬鹿ですねえ。」
 細く、やさしい鈴の音のような声がからだにしみゆきます。
 そして、『イワンの馬鹿』の生活を生き活きと実践され、二郎先生を支えておられるすすぐさん・たえ子さんには、頭が下がります。
 岡部さんも二郎さんもふしぎな人です。
 よろこびを食(は)んでいるような人たちです。
         上島聖好

 たったいま、末雄さんから電話がありました。「犬をほしいといっている人がおるが、チビはどがんじゃろか。」もしチビの子どもが生まれたら……と聖好さんは上手に切り返していました。どこまでも揺すってくれる末雄さんです。

 友人がチビのために、ミルク棒を送ってくれました。
(1)はじめての日。ミルク棒を一気に食い、息をつまらせた。
(2)次の日、前足一本で押さえ、
(3)次の日には、両足で食べた。
(1)を見て大笑いの私は、笑いを奪われがっかり。
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