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お休みどころ 2004年2月15日(日)

  犬のチビがやってきていろいろ騒動をおこしてくれていますが、またおもしろい事件がおきました。近所の末雄さんがおこってしまったのです。
 僕たちは鹿児島へ行ったり京都へ行ったり、しばしば留守にしますので、末雄さんにあずかってもらってきました。末雄さんは犬好きで、チビは野良犬時代からなついていましたし、毎日の散歩や食事、2/4には犬小屋まで作ってかわいがってくださっていました。ところがかわいさあまってか、やたらとエサをあげたようで、チビが末雄さんと会うたびにカン高く鳴きわめくのです。(上島注:鳴けばもらえる。そんな下品な犬になってほしくないのでした。)鳴けばエサがもらえるというパターンが身については近所迷惑(上島注:お隣のケサヨシさんは、犬嫌い。)になりますし、困ったなとおもっていました。さらに、車で迎えに来るはずの時間に末雄さんが遅れたり、(上島注:まことにこれは勝手な言い草。迎えに来て下さるのはむこうの善意なのでした)僕たちが道端のカン・ビン・ゴミをひろっているのを承知で末雄さんは道端にアメの袋をポイしたり、末雄さんに対するウップンがたまっていましたので、(上島注:まあ、こちらの甘え。勝手な言い分にしかすぎません。ごめん。)ちょっと言ってみることにしました。(上島注:末雄さんはこれまで放し飼いで犬を飼ったことは、二、三度あったそうです。そのときは日に三度ドックフードやインスタントラーメンをあげていた。どれもイノシシの罠にかかって死んだそうです。)
 散歩で末雄さんに会った際、エサは一日一回にしてほしいこと、もどしたり下痢血便をしているのでひろい食いは制止してほしいことを伝えたのですが、僕の言い方に末雄さんはカチンときたようです。「そんなことを言われるなら、もうチビはあずかりきらん。ヒモをはずして放っておかれたらどうですか」といきなりお怒りです。「他の人に頼んでみなっせ」と末雄さんが言うとおり、近所であずかってくれるのは彼ぐらい、と僕たちも知っていますので、その場はあやまってなだめることにしました。末雄さんの気持ちもだいぶ和んだようにみえましたので、やれやれとおもっていました。
 ところが翌々日、末雄さんが「犬はあずかりきらん。このドックフードも返す」とさらに強い調子で言いに来られたのです。その場でもあやまりましたが、怒りが次第に増幅したのか、近所の人に「後押しされた」(聖好さんの説)のか、ともかく末雄さんの心はいっそう硬くなっていました。犬のことはともかく、末雄さんと硬化した関係を結ぶのはたいへんですから、翌日聖好さんが直談判に出かけました。
 犬をあずかってもらえるだけでなく、お休みどころがどういう場所で何をしようとしているかまで初めて話せた、と聖好さんは戻ってきました。
 それから不思議なことがおこりました。隣の袈義(ケサヨシ)さんがニワトリの卵をくださったり、隣の隣の文江(フミエ)さんがお米とゆべしをくださったのです。たしかに文江さんの田んぼの田植えを僕は手伝いにいったのですが、それは去年の春の話ですし、どうして今ごろ。どうも近所の人たちは末雄さんの一件をすべて知っていて、聖好さんの心意気を歓迎してくれているようです。第一話し方が違います。袈義さんなどいつになくしみじみして、「子供たちも住むためには戻ってこん。ここも何十年かしたら人類のおらん地になる」と言われるのです。季節もやっと冬を越し春になりましたが、近所の人たちもイザコザをとおして、この地に迎えてくださったようです。
 2月4日には鹿児島市の伊敷病院に精神科医の神田橋條治(カンダバシジョウジ)さんを訪ねました。当初は初対面なので先生とすこし会えればとだけおもっていたのですが、事前の電話で神田橋さんの方から「診察見ないの?夕食はそばか黒豚しゃぶしゃぶかどっちがいい?」と声をかけていただき、こんな親切な方もいるのかとびっくりしながら鹿児島に向かったのでした。

お休みどころ→(徒歩40分)→古屋敷→(バス1時間半1230円)→人吉→(バス1時間40分2050円)→西鹿児島駅→(バス160円)→伊敷病院

 神田橋さんは意外にも全然医者っぽく見えない人で、正直言ってあやしげな整体師や新興宗教家、あるいは聖好さんいわく「大道芸人」といった風貌の人でした。重々しい治療の場かとおもいきや、軽妙な語りでふっと患者さんが笑って帰っていく診察室で、1:30〜5:30まで4時間見せていただいたのですがさほど疲れませんでした。
 ただおもしろかったのは、神田橋さんが「君は緊張型だ」と煙たそうに三度も言われたことです。別れぎわに握手したときまで「この手の平の湿りが緊張型だな」と言われたのにはいささかまいりました。ただ、おもいあたる節がないわけではなく、末雄さんのときのように、相手の誇りを配慮しないぞんざいな言い方で、僕が人(特に年上男性)を怒らせることがいままでたびたびありました。この水上村の平谷の地に来てまで、またか、といった気もするのですが、「自分の中のプライドをもっと活かすことよね」と友人の藤田春子さんからはアドバイスいただきました。
 神田橋さんは、僕の手紙に医学部があまりおもしろくないとあったので返事することにしたと言っておられました。たしかに医学部どころか医者の枠にもおさまりきらない自在闊達の人に見えました。漢方、整体、気功のほか、さまざまな芸、とくに落語を研究されたそうです。会話を磨くということを僕は考えたことがありませんでしたので、話芸ってあるのですねとため息がもれました。
 「せっかく心を決めて薬を使わないことにしたんだから、がんばってよ。民間療法にも深い智恵はいっぱいある。ま、この人(聖好さん)の魔力でどうにかなるだろう」と励ましの言葉をいただきました。
        興野康也

 「あぎゃん言い方さるれば、誰だって怒りますよ。」と末雄さん。末雄さんは、しんから傷ついたのでした。
 「おどんもチビに煩悩かくるもん。あずかればかわいかで。」「エサが少なかとじゃなかですか。腹一杯食わすればよか。拾い食いしたチ叱れば、犬のストレスになっとじゃなかですか。」末雄さんは、チビを見い見いおっしゃいます。
 チビもしあわせな犬です。
 私はゴミを道端にぽいと捨てる風習になじめません。なじまないなあとおもいつつ、チビの散歩かたがたゴミ拾いをしていたとき、彼とバッタリ会い、はじめに興野さんが書いたようなことになったのでした。
 カン、ペットボトル、ビニルのお菓子袋、弁当の食べかす、アルミホイル(たき火あと)、煙草、ぞうり、入れ歯、ガラスびんのかけらの類は大きなゴミ袋七、八になり、役場の人にとりにきてもらいました。「ここらでは誰もうるさいことは言わないので、ダイオキシンとかなんとか気にせんで野焼きしたらいい」と言われるのですが、なじみません。
 ここ平谷のお休みどころをはじめて訪ねたのが、一年前の二月十五日。北御門二郎さんの90歳のお誕生日の前日でした。北御門すすぐさん・たえ子さんの見つけて下さったこの家を私はすぐに気に入ったのですが、ただひとつ、先人の残していってくれた巨大ゴミ(洗濯機、冷蔵庫各数台、その他山のよう…)には途方にくれました。ですので、六月に虫賀くんたち友人らが手伝いに来て、軽トラック13台分(処理費六万余り)のゴミを出してくれたときには、どんなにうれしかったか。もっとも、これは根本解決ではない。ただ、私の見えないところに隠しただけで、地球の負担には変わりないのですから。私の出した代金も私にとっては大きいのですが、地球にとっては、ただの紙きれ。
 役場の人は、「他国(宮崎県椎葉)の人」がポイ捨てするからゴミが多いというのですが、「他国」に通ずる道以外のところにも多いので、私には賛成しかねるのでした。
 多分、ゴミ問題と私は、今後も切っても切れないご縁となるでしょう。
 結局のところ、末雄さんは私のイライラの気をうけたのです。ですので、犬のことよりも、末雄さんの心を傷つけたことをわびにまいりました。犬をあずかってくれようがくれまいが、末雄さんに寄せる信頼は「犬ごとき」で変わらない旨を申しました。ならば、なぜ「あずけなければならない外出が多い」のか。なぜ、ここにいるのか。何をしようとしているのか。
 はじめて、語ることができました。
 「よし。あずかりましょう。」と末雄さん。
 犬の副産物。「お休みどころ」を語らえたのは。
 いや。ひょっとすると、このことを土地の人に話すために、今回のできごとが用意されていたのでしょう。
 「答はいつもただ一つ、自分の意思を神の意思に合流させることである。」(『文読む月日』ちくま文庫1575円、トルストイ作・北御門二郎訳、ご注文は論楽社へ。)
 末雄さんにどう語りかけたらよいか思いあぐねていた前日、ふいにとびこんだ言葉。ストンと腑に落ちました。途端どう行動したらよいか、わかりました。
 神田橋條治さんは、じつに愉快な方です。
 「先生は原人です。」その日いっしょになった茨城県立友部病院の人がおっしゃいます。その人はここ七年、先生と知り合い、三年前から「ようやく許され」、診療風景を見学できるようになったそうです。ましてや先生と食事するなどはじめての由。去年は狭い診療室に五、六人の見学者でひしめいていたので、今年はラッキーだとおっしゃいます。
 「先生はあなた方によほど期待をしておられるのですよ。」
 そう言われると、なんだかとてもうれしくなりました。
 たしかに、先生は原人でした。
 神子(みこ)のようでもありました。
 それら全体を包む軽みが「大道芸人」(私のあこがれのひとつです)のようであったのです。
 病気は病院でなおるのか。たとえば2001年3月に亡くなった私の母は大脳皮質変性症という難病でした。「病名をつけてほしい」と母は大学病院をまわりました。むろん病名はついても、なおらない病気。それから二年、重たいウツを得ながら、弟たち家族の支援のもと、生きのびました。
 病みは癒えて、母は逝きました。
 闇から光へ。いのちからいのちへ。地球歴史。
 いのちの旅路をどう生きるか。そんな問いをいただいて帰りました。
        上島聖好

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