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お休みどころ 2004年1月15日(木)

 この一ヶ月は二つの旅に恵まれました。宮崎県の高鍋への旅と、東京・千葉への旅です。寒さが深まり、冷え性持ちの聖好さんは体調をくずしていたのですが、二つの旅をどうにか乗りきれました。
 旅に出ると、おもわぬ収穫があります。東京の藤田春子さんから対話精神療法の本を紹介してもらえたこともそのひとつです。鹿児島に住んでいる神田橋條治先生のセミナー録なのですが、これならひょっとして僕にもできるかもしれない、とおもえました。僕自身医学部は出たものの、ピンとくる分野がなく、どこかの病院で働く気にもなれず、医療は自分に向いていないとおもってきました。せめて六年も勉強したのだから、できる範囲で身近な人の医療相談ぐらい、とおもってきたのですが、「それではあなたの独自性はなんなの」と聖好さんから問われると、まぁそれはそうだと思いながらこれといった案も浮かびませんでした。お休みどころは山奥の不便なところにあり、直接来るには遠いところですので、もし人が相談してくれるとしたら電話が主でしょうから、それに役立つ医療面接やカウンセリングなど学べれば、という程度だった気持ちが、神田橋先生の本との出会いでずいぶんはっきりしてきました。鹿児島はお休みどころから行きやすいところですので、また会ってみたいと思っています。
 お休みどころのもうひとつの変化は、犬を飼うようになったことです。名前はチビ。[なんのことはない。口から出た言葉が、チビ!]若いメス犬です。おそらく猟犬で、捨てられて野良になったようです。12月の半ばごろからチビがこのあたりをうろつきだしたのですが、聖好さんがいくら追いはらってもしだいにお休みどころに居つくようになってしまいました。[私も興野さんもエサなどやっておりません、念のため。]近所に住む森山末雄さんが犬好きで、エサをやったりしておられたものですから、チビをロープでくくり、末雄さんの家につないでみたのですが、植木鉢をひっくり返したり暴れまわって、結局戻ってきてしまいました。聖好さんが北御門すすぐさんに相談すると、「犬が飼い主を選びますから」とのこと。ノミの問題などもあり、聖好さんはかなり躊躇していたのですが、僕が犬好きですので、結局飼うことにしました。[お隣りに「犬を飼おうとおもいます」というと、「やめた方がよかですよ。犬は吠ゆるし。役場に届け出をせんばいかん。狂犬病の注射もせんば。」まず、「役場」といわれて、おどろきました。北御門二郎さんの徴兵拒否、いかばかりであったか。]
 散歩は朝晩二回です。チビが来るまでは、何人もの人から散歩をすすめられてもなかなか外に行きませんでした。冷え性にも散歩はいいようですし、道端のカン、ビン、ゴミを拾いはじめました。さらに聖好さんの案で、道端に落ちている太い枯れ枝を焚きものとして拾うようになり、いろいろ助かっています。これはチビの贈りものです。[チビはクリスマスのころやってきたので、これもクリスマスプレゼントでしょう。人には決して吠えません。獣の気配に吠えます。]
 食事は一日一回で、ごはんとおみそ汁、米のとぎ汁、米ぬか、野菜クズその他生ゴミなどを煮こんであげています。チビは野良出身のせいか、他の犬のウンコをひろい食いしたり、生ゴミ捨て場をあさったりしますので、たいがいのものは食べるようです。末雄さんからいただいたドッグフードすこしと混ぜれば、リンゴや里芋の皮、お茶っ葉などまで食べます。ここは買い物ができない地ですので、特別なものはやれませんが、残飯で十分まにあっています。
 もう一匹、ジョウビタキもお休みどころに居つくようになりました。[名前は、カルタ。生には軽みが大切と、カルタと命名。チビにごはんをやっていると、物干竿にとまりヒッヒッヒッヒッとないています。]晴れた日は夜明けとともにヒッヒッと鳴きますので、聖好さんは火入鳥と呼んでいます(今朝は6時55分でした)。なんで、と思うほど一日中家のまわりにいます。かわいいのはいいのですが、困るのはフンです。ふとんやシャツ、ブラウスなど、赤黒いシミをつくって、そのたびに聖好さんが大騒ぎしています。ともあれ、たのしい仲間です。
 寒さには相当困っていたのですが、ふしぎなことに体がなれてきました。土間はマイナス4度くらいまで下がるのですが、それでも以前ほどショックを受けなくなりました。自分でもふしぎですが、体は順応性があるようです。まだ人に泊まっていただける状態ではありませんが、来年は納屋の二階を客室にしようと聖好さんが言っています。この冬なんとかしのいで、準備は来年からです。
              興野康也    ※文中[ ]内は上島聖好
 
 12月19日、マイナス3度の日、大益牧雄さんが来訪。熊本で木工展を終え、立ち寄ってくれたのでした。大益さんは丹後半島に住み、冬は積雪2メートル、人口四人の地域に暮らしておりますので、「寒いでしょう」とお休みどころの寒さをわびてもいたって平気なのでした。
 「いろりひとつしかない家だからですね、南極探検に行った友人が南極より寒いといってましたよ」とからからと笑います。
 私はどうしても笑えず、寒さに縮こまっておりました。きっと顔の筋肉はおろか心のそれも、突然の寒さにこわばっていたのでしょう。
 大益さんとともに、高鍋(宮崎県)に住む共通の友人のところに大益さんのクルマで出かけたのですが、それは避寒地としても、友人の気づかいもこのうえないものであったにもかかわらず、私はすっかり、体調をくずしてしまいました。
 更年期の冷えのぼせも加わって、移動は一苦労。
 「お休みどころ」、自分も休めないようなところって一体何だろう。
 興野さんは日々の貯えのないなかで、薪割り。
 それも一日分だけ。寒いのに、疲れてしまったな。
 まあ、夏のノミよりいくぶんましか。
 夏は、ノミがくいついて土間(台所)には立てなかったけど、冬は下からしんしんと冷えて立てない。
 「恐ろしどころ」から「お寒いどころ」。
 「お休みどころ」とは何だろう。
 「興野さん、かんがえてちょうだいね。あなたにとってここは何? どういう医療を展開してゆくのですか」
 と問えば、「精神医学をやります。」
 ならば、捜しに行こうではないか。
 ちょうど元旦から1月8日まで、「返礼の旅」を計画しておりました。「お休みどころ」の模索、場所捜しをして下さった方がおられます。病いを得、高齢も重なって、なかなかここにはおいでいただけません。だったら、こちらから出向き、ありがとうを申したいとおもったのでした。きっとその道すがら、道標があるに違いありません。
 なぜかって? 人生、そんなものだから。
 やはり、ありました。興野さんはいま神田橋先生の冊子をたんたんと読んでいます。
 「お休みどころ」って、何だろう。この問いは旅のさいごに、明らかになりました。
 1月4日(日)、戸村義弘さん(77歳・戸村一作氏(注1)実弟)を訪ね、三里塚教会にまいりました。さりげなく荒れていて、しかもなつかしみのある風情。その野趣が高鍋の友人のやっていた教会とよく似ています。(彼の北白川バプテスト教会では教会闘争以後、牧師職ではお金を得ていませんでした。いさぎよい友人です)義弘さんとは一度しかお目にかかったことはないのでしたが、「お休みどころを捜しています」という私に、何ヶ所か候補地を紹介して下さったのです。その心意気がうれしかったのでした。
 十人のあたたかな集い。
 李仁夏牧師(79)ともはじめてお会いできました。私の人生の半分を通し、李仁夏師のお名前はきいておりました。たとえば、故安江良介さんから。師の韓国民主化へのちからは大きい。(『世界』2003年11月)
 そして、故金在述さん(1907〜1993)から。
 金さんは在日韓国人一世。彼の使う日本語は胡麻のはぜるように、いつもいきいきパチパチ。火とともにある勢いのいい日本語で、私は彼から言葉を教わったといっても過言ではありませんでした。
 たましいこもった言葉で、20代の私をしんから元気づけてくれました。「食べているか?」と何度ごちそうになったことか。「人間にとって何より大切なのは自由だ」と三・一独立運動(注2)のことを語って下さいました。
 李仁夏師は金さんの尊敬する人でした。
 金さんと同じ明るさに、苦難の与える恵みを感じました。
 「先生、先生は尹東柱(注3)と似ていますね。」別れぎわ興野さんがいうと、「ああ、それを言われると、わたしはつらい。尹東柱を捕まえた特高警察が、その足でわたしを捕まえに来たが、わたしは逃げた」と李牧師はからだを折り曲げ、つらそうに顔をゆがめたのでした。
 義弘さんを紹介したのは、私の友人、故吉田和子さんでした。2000年3月2日、彼女はウツ病で自死しました。49歳。論楽社の二月例会で講師として話してもらった二週間後のできごとでした。彼女は終始私を支えてくれましたが、私は彼女を支えられませんでした。そのことを、いま、痛みをもっておもいおこします。
 お休みどころとは、「吉田さん」の訪れる家。
 「吉田さん」を待っている家。
 「疲れた人、ようこそ ようこそ」と私は言ってきましたが、その「疲れた人」とは、彼女だったのです。
 どうやら寒さも、峠を越えたようです。
              上島聖好

(注1)戸村一作。1909〜1979。成田空港建設反対運動の指導者。
(注2)1919年3月1日、日本支配下の朝鮮の京城(現・ソウル)で起こった反日独立運動。朝鮮総督府は厳しい弾圧を加え、各地で虐殺が行われた。
(注3)尹東柱。1917〜1945。詩人。日本支配下の植民地朝鮮から京都の同志社大学に留学中、独立運動の嫌疑で逮捕される。その後、福岡刑務所で獄死させられた。
お休みどころ | 2004年のお休みどころ | 05:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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