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お休みどころ 2003年5月27日(火)

  5月1日にこちらに来て25日がたちました。といっても4月24日に僕がインフルエンザにかかり、下痢と嘔吐で引越し準備ができなくなったので、聖好さんはこの1ヶ月休みなしでした。いままで平地に住んでいた二人が急に山また山のド真ん中に来たのですから、たいへんなのも当たり前です。古い家屋は手をかければ風格がありますが、最初はエネルギーがいるのですね。この家もゆうに100年は経っているそうです。どこかから移築してきたとのことで、戸板や建具がチグハグだったり、柱は傾いていたり。手づくりの味があります。それはともかく北西・北東の柱はシロアリでひしゃげ、ひさしには穴があいて雨がおしっこのように流れ落ちています。風にのって砂ぼこりがきつく、ふいてもふいてもザラザラで聖好さんは悲鳴をあげています。とにかく家の事はいつどこがこわれてもおかしくない、そういう心構えがやっとできてきました。
 家だけでなく人もそうで(予想がつかない)、大工さんでも郵便配達の人でも近所の人でも、不意にやって来ます。みな人はたいへんいい人たちで、会えばなつかしく話がはずむのですが、きっちり予定を立てて相談したうえで事に移していくといった感じではないようです。朝8時すぎればいつ人が来てもおかしくないので、この数日朝起きるたびに大工さんが来たのでは、と聖好さんは心配しています。(上島注:ここ10日ほど体調をくずしていたのでしたが、もう大丈夫です。)というのも、こちらは工事が粗く、スリガラスが内外逆だったり、天然のイ草畳を頼んだのに断熱材入りの畳が届いたり、水道ポンプの電線はビニールがむけていて雨の日には火花が散っていたりします。いろんな意味でおもわくどおり事が進まず、こんなものかと慣れるには時間がかかりました。(まだまだかかりそうです。)
 天気もまた絶えず動いていて、晴れたかと思うと雨。日夜の寒暖の差など、やはり予定が立ちにくいです。寒いのにはおどろきました。鹿児島に近いのだから、とタカをくくっていたのですが、実は(いままで下宿していた)京都の岩倉以上に寒そうです。冬は雪も積もるそう。
 家のつくりもまた時々刻々動いています。晴れるとスカスカの雨戸。それが湿るとつっかかったりします。かとおもうと、ボロボロで傷だらけの机が、聖好さんが磨くとみちがえるように美しくなったり。結局木の物は生きているのですね。人肌と同じように放っておけばすぐアカがたまるし、まめに手をかければ滑らかしなやか。聖好さんはこまめに掃除をする天才ですから、板も柱もみるみる落ち着きを取り戻しています。5月1日には土足で家の中を歩いていたのですから、冷静に考えれば、いまの美しさはすさまじい偉業です。そのために聖好さんは足痛腰痛発熱状態になってしまいましたが。
 家の内装もどんどん変わり、当初は天井から床板までスス黒で、懐中電灯を使う“穴居生活”でしたが、いまでは照明も付き、畳も入り、家がひとまわり小さくなって明るくなった気がします。電気工事屋さんの場合も絶えず見ていないと、好き勝手に仕事をされてしまうので、たいへんでした。電気を使う代償は大きいですね。黒光りの柱もコードで死んでしまいますし、穴をあけたり金爪を打ったり、家を傷つけます。家の外は四方山のすばらしい眺望なのに、電線と電信柱がありますし、この家には四本もケーブルが来ていて情けないほどです。
 この家に来て水道、ガス、電気、灯油などの設置から始めたおかげで、以前よりもエネルギーの出入りがよくわかるようになりました。たき火をしてみると湿った日は火がつかず、乾いた日は燃えすぎたりして、ガスの便利さがわかりますし、一方でガスは高いものだとも感じます。半月で5500円という請求が来たときは、毎日羽釜でごはんを焚く火力は高いものだとびっくりでした。実際はガス屋さんのまちがいで、半月で2300円だったのですが。
 いままで生活のたいへんな側を書いてきましたが、すばらしい側もたくさんあります。水がおいしいので紅茶もおつゆも煮物もおいしく、空気がいい。家の外を眺めるだけで緑に心休まります。まわりの人達は親切で、食べ物や鎌や灰汁巻(あくま)きなどを届けてくれますし、鳥の声もカエルの声もにぎやかです。なにはなくとも、ただここで生きていること自体が豊かです。
 今日はコピー機が届きました。聖好さんがコピー屋さんとかけあって、ほとんど新品の中古機がみつかりました。(14万7千円。新品なら25万7千円。)いまから組み立てて、ためしずりです。ある意味で静かに、ある意味でドタバタと一日一日すごしています。
              興野康也

 今朝も雨。きょうで三日目。
 青空か。とおもったら、激しい雨になったり。
 山の天気。おもいあまって、「ラジオでもつけようか。天気予報をききたい。」と同居人の興野さんに相談すると、「山の天気が天気予報でわかりますか。」と興野さん。
 まあ、それもそうか。
 西の山に雲がかかったら雨、というふうに、山に相談することにしました。
 雨が降ると、ここはにぎやかになります。
 きいたこともない華やかな色あいの蛙の音もさることながら、木魚の音のような太鼓の音のような、さまざまな打楽器の音が夜を包みます。
 この家には樋が機能していない。
 途中で消えてなくなっていたり、ちぎれたりの樋から気ままに雨が落ちてきます。
 入る前に大工さんに修理してもらったはずなのですが。
 これでは困ると、雨の落ちる四方八方に、納屋の中から壊れたざる、鍋、土鍋、ボウル、洗面器の類をみつけだし、おいたのです。
 捨てられたものたちの奏でるいのちうた。
 雨のたびに、にぎやか。
 納屋の中には、先人の残した「燃えないゴミ」が山と積まれています。
 これをどうするか。
 クルマなしの私たちのコミュニケイション(知恵)の使いどころです。
 段々畑は荒れ果てて、カヤ畑。刈らねばと思っていたら、村の人が「カヤの根元にはダニがいる」と「ダニ退治」の方法まで教えてくれました。
 (タバコの葉っぱを水にひたしておき、その水を使う。)
 「刈るより、折った方がよい」という方法を、いよいよ刈る段になって興野さんはおもいだしました。カヤをスパッと切ると、むくむくとカヤの反抗心(いのち)がわいてくる。それより根元から折った方が打撃をうける。ということを、以前自然農の人からきいたそう。(興野注:そうではなく、僕がかってに考えているだけです。これから結果が出ます。聞いたのは、草を折る、という雑草との付き合いかたです。)
 カヤのむこうにクヌギの林。
 風に揺れます。
 ここは、眺めのいいところ。村の人が訪れて、「よかなあ」と感嘆。
 ようこそ ようこそ 疲れたときの一服に、いつでもいらして下さい。
 水は湧き水。
 そうそう。興野さんは「お休みどころ」付医者となりました。ここいらでは送迎バスで病院のサービス。「きょうは風邪ひいとるけん病院に行けんばい」というジョークもあるほど誰も医者を必要としていません。ここ専属に。結果として。ゆっくり滞在していって下さい。
              上島聖好

 京都の桂から、とうとうやって来ました。外は雨。しとしと、しとしと、水墨画の世界です。見えるものは山、山、山。聞こえるものは、雨の音、川のせせらぎ、鳥の声。静かです。聖好さん、興野さん、元気ですよ。一月振りで、お二人に逢えました。うれしいなあ。早くやって来て良かった。ここは別世界。空気も水も、なんておいしいんでしょう。
 そして、この“お休みどころ”の煤で黒光りしている太い柱の美しい事。同じく黒光りしている板壁も美しく、落ち着いた気分にしてくれます。畳の青々としたいい匂いに包まれた、あったかい、“お休みどころ”が出来つつあるのです。私は、正直、びっくりしています。
(上島注:ここお休みどころの願いは、杉山をトラストし、広葉樹の山にかえすこと。山も川も、私も、平和に生きる場所にかえすこと。)
 物も人も、それぞれが生かしあっている空間なのです。時がゆっくり流れます。興野さんが毎朝、羽釜で炊いてくれるごはんの美味しい事。北御門農園産の白米だそうです。料理は上手な聖好さんのスキヤキ(肉は私が持ってきたもの)や、筍煮も、うまかったなあ。私は“お休みどころ”のお客さん1号だそうです。
 人生のアカを落としに、又、この地に立ちたいと思います。ワインに日本酒、焼酎と、お酒もたくさん飲めました。鹿や猪も共存しているこの水上へ来れた事に感謝して、私は明日京都へ帰ります。 2003.5.31 関口香奈恵

 香奈恵さんのここでの仕事は障子張り。雨の中に建具をおくことしばし。古い紙を洗い流し、こびりついた糊をこそげおとし……。ここには水道は風呂と流し以外にはありません。新聞紙がこんなに重宝だったとは、ここにきてはじめて知ったこと。(新聞ではありません。)水は湧き水いのち水。味わいに来て下さい。  上島聖好
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